<雑記>記憶があるから先輩です

雑記

私がよく行くマックには結構な頻度で学校をさぼっている女子高生がいます。

彼女たちは大抵、恋愛の話かだるい授業の話をしているのですが、この前、ふと耳に入ってきた会話がなかなか印象的でした。

茶髪のボブカットの子を中心に、4人掛けのソファーでお喋りをしている彼女ら。私はその隣でひっそりPC作業している構図。

茶髪ボブ「あのさあ、生まれてから最初の記憶っていつ」

黒髪ショート「いやそんなの覚えてないし」

茶髪ボブ「ここだけの話、私生まれて3秒後から、ずっと記憶あんだよ」

黒髪ショート「何それウケる」

茶髪ボブ「だから私、記憶分お前らの先輩だかんな。うやまえよ」

黒髪ショート「はっ、うざすぎ」

以上が、その会話内容ですが、彼女たちはここで新しい理論を展開しています。

それこそ「認識能力年齢説」です。

長らく社会は「時間経過年齢説」を実年齢と捉えてきました。彼女たちはこの常識という秩序にミスチルばりにドロップキックをかましているわけです。

茶髪ボブの子は非常に鋭利でシャープな印象があり、彼女ならこの日本社会の岩盤を切り崩し、上り龍のように権力の階段を駆け上がっていくでしょう。

そして彼女が日本の行政でしかるべき地位についた時こそ、「認識年齢法案」が制定され、今まで年齢の上にあぐらをかいていた有象無象が駆逐される時です。

子供が12歳になったら、両親と一緒に「年齢確認申告」を行います。これは子供が喋る生まれてから最初の記憶を両親が合っているか判断するもので、ここで年齢が決まります。生まれてから記憶がある人は満12歳、5歳の時にDVDプレーヤーにえびせんを詰めた記憶が最初の人は12-5で7歳、記憶などその場からワシは破り捨ててきたんじゃいという人は、1歳からスタートです。

こうなると同じ中1でも、年齢に幅が生まれるので、同じ年齢の子を同じ場所に集める偏屈で狭量な教育現場に一発、大きな変革を促すことになりそうです。

さて困るのは子供たちの中で、前世の記憶をもつ、計り知れない深い能力を持った子(ディープメモリチャイルド)がいた場合です。

こうなると両親なんていうスケールでは対処出来ずに、内閣に「前世照合省」が置かれることになります。

例えば前世がイタリアの枢機卿だという子供がいた場合、外務省と連携しイタリア政府に事実を確認し、もし違ったら、その子に「お前の言っていることは嘘でお前に前世など存在しない」という、残酷な真実を告げる役目を担います。

しかしこうなってくると、男は社会的なステータスとして、年収や顔の他に、前世持ちというのが加えられます。

「えー、リカの彼女、あんなにかっこいいのに前世持ってないんだ。がっかり」

とか言われていることを知り、メンタルブレイクする男子が大勢生み出されます。

男子はそのような目に合いたくないので、自分には前世があるという「前世偽証詐欺」が横行します。

当初は偽の前世は嫌われる傾向にありましたが、純粋に前世を持っているのは人口のわずか数パーセントに過ぎないので、女子たちも偽前世を受け入れ始め、後はいかにおしゃれに格好のいい前世をプレゼン出来るのかというフェーズに戦いは移ります。

自分の前世を五七五で表現する、花鳥風月派。

何も語らず、佇まいだけで前世を感じさせる、無頼ハードボイルド派。

議論の中で前世を深めていくアウフヘーベン派など、様々な流派が生まれます。

そんな中、ロックバンドは、君を前前前世から探していたという様な歌詞を歌うようになっていくのは道理です。

しかしそんな時、テレビに出ていた5歳の少女が何気なく言うのです。

「私は前世より現世を生きるわ」

この瞬間、前世を自慢してきた社会は粉々に打ち砕かれました。これがいわゆる「現世肯定革命」のスタートでした。

ここまで考えて、ふと辺りを見回すと、マクドナルドの店内には蛍の光が流れ、お客でいるのは私一人だけ。あの女子高生たちはとっくに消えていました。

私は迷惑そうな店員さんの横を、とぼとぼと通り、寒い風の中、家に帰りました。

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