私は、どこかに旅をするのが好きです。
それはもちろん、寺社仏閣・城・美術館・温泉などに行くこと、それ自体も好きなのですが、実はそれの移動そのものが好きだったりします。
というよりもはや、新幹線の待合室や、高速バス乗り場のコーヒーを飲んでる時間、その時間がピークですらあります←いきなり盛り過ぎ
例えばこの間、静岡に行った時は、電車で移動しながら優雅に大磯の海を眺めている時間は、本当に至福の時間でした。
なぜこんなに「移動」にテンションが上がるのか考えて見た所。
私は、小学校の時から連絡帳に「落ち着きが無い」と書かれ、かつ映画館でも、映画を見ることよりもじっと出来るかに不安を覚える人間です。
つまり私は、基本的に定住タイプのホモサピエンスではないのではと思うのです。
いわゆる遊牧民タイプのホモサピエンスなのではないでしょうか←なぜ疑問形
本当は、小説を書いたり、考察したりする作業は、定住タイプで家でドーンと居られる人が向いていると思うのですが、私は同じ景色が続く所にずっといると、自分が何かに捕らわれたような感じがして、とても不自由な気持ちになるのです。
ゆえに電車や高速バスで、とんでもない速度で移動をしていると、文字通り羽が生えたかのような、自由である全能感を感じるのです。
そんな私が今やりたいのが「深夜バスの旅」です。
これは普通に観光地に深夜バスで向かうというのではなく、宿そのものが深夜バスになるというものです。
例えば1週間くらい期間があるとして、昼間はたとえば京都で過ごしたとします。
そして夜になったら深夜バスに乗ります。すると朝になると何という事でしょう、福岡に着いているのです。
そしてその日の昼は福岡を満喫し、夜になるとまた深夜バスに乗る。
そう、これは朝になれば常に違う町にいることが出来るという革命的な旅なのです。
しかし、この旅には弱点があります。
そう絶対に3日目くらいから、体がバキバキになるということです。
そもそも、寝つきが悪い私は、深夜バスでまともに寝れたことなどありません。
しかし、しかしです。
それが果たしてどんなものでありましょうか。
私は、ある程度寝れなくても体がバキバキでも、金閣寺を美しいと思うことは出来ましたし、鹿児島の黒豚が美味しいことは変わらないでしょう。
私は家で作業をしている時、「水曜どうでしょう」を流していますが、なぜサイコロの旅であんなに深夜バスを恐怖するのでしょうか←それは彼らが常に移動しているという辛さがあるからだ
そんなわけで、私は自らの体をバキバキに犠牲にしようとも、精神の高揚を取りたいと思うのです。
もしいつか、深夜バスの旅を実践したら、ブログにアップします←おそらく後悔と諦めを足して2で割った内容になるのが予想される