<考察>「たったひとつの冴えたやりかた」 未知へと踏み出す恐ろしさと素晴らしさ

考察

「たったひとつの冴えたやりかた」はアメリカ合衆国の女性SF作家、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの短編3編の連作小説です。

好奇心や未知の世界の持つ魅力や、そして同時に恐ろしさ、世界の残酷さを描いた非常に思索的な本作を自分なりに考察していきます。

以下、物語のネタバレがあるので、ネタバレが嫌な人はここまでにしてね。

各話のあらすじ

本作はデネブ大学の中央大図書館に、地球外生命体の学生カップルが訪れ、そこで主任書司が薦めた3編の記録をカップルが借りた順番で見ていく、という体裁を取っています。

一つ目の記録:たったひとつの冴えたやりかた

16歳の誕生日に両親から小型宇宙船をプレゼントされた少女コーティー・キャスは、両親にも内緒で宇宙へ旅立ちます。

旅立つ前の補給などの準備を連邦基地でしていると、そこで行方不明になった二人の調査員の噂を聞き、コーティーは安全な航路ではなく、二人が消えた航路に行くことを決意。

その星域で、二人が残したメッセージ・パイプを拾うコーティ。

そのパイプに中には二人が調査した惑星の、脳寄生体のイーアという種族シロベーンという個体が潜んでいました。

そしてシロベーンはコーティーの中に入り込みます。

体に害が無いことを確認したコーティーはシロベーンと意気投合、二人が消えた惑星を探索します。

しかし途中からどこか様子のおかしいシロベーン。

話を聞くとイーアの性衝動はとても強く、師匠や上の世代が抑えることによりどうにかコントロール出来るのですが、師匠がいない状況ではシロベーンの性衝動は、どんどん強まっていき、このままだとコーティーを食い殺すことになるということが分かります。

しばらく考えたコーティは、シロベーンを責めずに親友として認め、そして二人で黄金の太陽に突入することを決意するのでした。

二つ目の記録:グッドナイト、スイートハーツ

連邦基地で、最終戦争の戦功による有名人だったレイブンは、ブラックバード号という宇宙船でサルベージと救難の仕事をしています。

冷凍睡眠で70年眠っていたレイブンが実質100歳ですが、肉体的には30歳にしか見えません。

ある時、仕事の最中で<マイラⅡ号>という燃料が切れかかってる宇宙船を発見。

それはある男爵閣下の宇宙船だったのですが、そこにかつての恋人のイリエラがいました。

一見すると美しい彼女ですが、美容外科手術を施してはいても老齢は隠せません。

昔の話をしながらも燃料の補給を終え<マイラⅡ号>を離れるレイブンですが、直後に奴隷商人のグループに襲われる<マイラⅡ号>。

助けに行き、賊を捕まえたレイブンですが、そこにいた捕虜の女性はなんとイリエラの若い肉体を持ったクローンだったのです。

クローンであるイレーンと意気投合するイリエラ。

ところが捕まえていた賊が<マイラⅡ号>に居た裏切りものにより縄を解かれ、一転してレイブンたちはピンチに陥ります。

レイブンは、賊を振り切る方法を考え、そして実行に移そうと思いますが、そこで宇宙服が2着しかないことに気付きます。

記憶と思い出を持つかつての恋人か、その若い肉体を持つ女性か、そして自分か。

この選択肢で迷う彼。

考えた結果、レイブンは自分自身が宇宙服なしでブラックバード号に乗り込むことに決めます。

結果、作戦は上手くいき、彼の命も助かります。

しかしここで彼は、彼女たちの宇宙船に戻る選択肢の他に、このまま消えて自由に生きていくことも可能だと言うことにも思いつきます。

愛か自由か。

二つの選択肢で迷う彼ですが、最終的に決定を下すのでした。

三つ目の記録:衝突

連邦宇宙の通信係士官のポーナは、<リフト>横断推測船からのメッセージ・パイプを受け取ります。

そこにはアッシュ船長が率いる船と未知の生物・ジーロとの邂逅の様子が記録されいています。

未知の惑星の前に逡巡するアッシュ船長たち。

一方そのころ、ジーロが住む惑星ジール・タンにも、未確認の宇宙船の情報が入ります。

先のとがった太い尾を持つ、大きい一つ目の彼ら。

そして二足歩行の人類。

双方手探りのまま、宇宙船はジール・タンに着陸、ここで二つの種族が邂逅します。

アッシュ船長たちが尾をつけて変装したこともあり、ファーストコンタクトは穏やかに進みそうでしたが、ジーロたちが燃料を抜こうとしていることが分かり、急いで脱出するアッシュ船長たち。

そしてそれを追うジーロの船。

数年後、長い冷凍睡眠から目覚めるアッシュたち。

しかし、追ってきたジーロの船から「たすけー」という声が聞こえます。

船に入ってみると倒れているジーロたち。

何かの影響で、ジーロが生きていく為に必要な二酸化炭素を生み出す植物が枯れてしまったことが原因のようでした。

ジーロを助けたアッシュ船長たちは、和平への道を開こうとするものの、ジーロのグリムヒーン艦長は疑い深く、アッシュの船の女性船員のシャーラを人質に取り、そして不幸なことにより結果としてシャーラを死なせてしまいます。

それのショックや、人類がマロリーンという瀕死のジーロを薬により助けてくれたこと。

さらにジーロの、ジラという人類の言葉を勉強していた女性の説得、そして連邦の救援の船が近付いてきたことなどにより、最終的にクリムヒーンも連邦に行くことを決意します。

様々な人の行動や努力により戦争は回避されたのでした。

(考察)たったひとつの冴えたやりかた

コーティは、好奇心により旅に出て、そして結局は命を落とすことになります。

しかし重要なのは、最後の最後までコーティに悲壮感がまるでないことです。

シロベーンを親友と思っているコーティですが、その根幹には向こう見ずと言われながらも旅への1歩を踏み出した共感があります。

コーティを見てると思うのは、好奇心は自分で止めようと思って止められるものではないということです。

コーティという人間の根幹は好奇心が軸となっているのであり、それが無くなったらもはやコーティでは無いのです。

コーティにとって旅に出ないという決断はそもそもありえなかったわけです。

そして彼女の信条は、未知のものがあった時にそちらへ1歩を踏み出すというもので、臆病ゆえの保守性を跳ね飛ばす精神の持ち主です。

だからこそ未知の星の星域に行ったのだと思います。

その結果、コーティは太陽に突っ込み死ぬことになるわけですが、ここで重要なのは果たして彼女の人生は不幸だったのかということです。

未知の星域に行き、そして未知の友人も出来た。

もちろん他にやりたかったことは沢山あるだろうし、コーティは生きたかったとは思います。

しかしコーティが生きるべき「生」は、新しい1歩へ挑戦していく「生」であり、ただ生きる為だけに安心で退屈な日常を繰りかえすことではないはずです。

おそらくコーティは、自分が1歩を踏み出す決定をして、起こった結果に満足していたのだと思います。

「色んな要素が重なって計算出来ない人生だし、こういうこともあるよね」

そんなある種、明るい達観みたいなものがコーティからは感じられます。

私が思うに作者がこの結末にしたのは

好奇心や未知ものへ手を伸ばす行為は、素晴らしいことであると同時に怖いことでもある

という世界の不条理な面。

そしてコーティの最後まで明るい態度には

不条理だからこそ面白い、だからこそ何が起きても1歩を踏み出す勇気の尊さ

を描きだかったのではないかと思います。

一方でシロベーンを暴走させたのが性欲だというのも面白いです。

先代が抑えていた性欲を爆発させたシロベーンは、抑圧された性欲の開放をしたというふうに見ることも出来ます。

私は好奇心と性欲は似ている部分があると思っていて、そしてそれはどちらにも危険であったり、人を狂わせる要素がある。

そんなことも本作を読んで感じました。

(考察)グッドナイト、スイートハーツ

愛か自由か。

この二つのどちらを取るのかというのは現代においてもとても悩ましい問題のように思えます。

レイブンの最初の選択の肉体か彼女の精神という問いに関しては両方大事だという結論を下し、それは非常に良識的なように思えます。

しかし問題は、その愛自体と自由のどちらかとなると、これはなかなかに究極の選択です。

愛情や恋人というととても素晴らしいモノのような前提がありますが、一方でそれは自分を縛るもの、重力を与えるものという側面もあります。

例え相手に縛る気持ちが無いとしても、何かを決断したり新しい1歩を踏み出す時に、危険が無いことなどありません。

だからこそ、相手がいるだけで

「自分一人ならいいけど、相手に迷惑がかかるのは嫌だな」

というような重力が自然に発生してしまうのです。

そして孤独には一種の哀しい喜びもあります。

最終的にレイブンは自由を選ぶことになるわけですが、惑星での恋人との幸せな暮らしよりも、身軽であり、お宝というロマンへと手を伸ばす暮らしを選んだのは、1作目の、家族の心配を振り切り未知の宇宙へ進んだコーティの精神と共通するものがあります。

温かい重さと、孤独をはらむ軽さ、この二つを比べた時に後者を選んだレイブン。

この二つのどちらを取るかは正解もないし、個人が大事にする価値観により異なるのだと思います。

バランスよく両立出来ればいいのでしょうが、人間の気持ちはそんなにうまくも出来ていないし、安定も重視しながらも、突き切った結論に憧れを抱いてしまう。

そんな揺れの中でいつの時代の人間も生きている、そんなことを思いました。

(考察)衝突

違う惑星の生物たちが出会った時に、個人個人の小さな思いやりや決断が、不幸な戦争を避けることになる。

本作の大きなテーマはそういうことだと思います。

またジロールのジラを異星の生物ではなく、若い女性として見ている、というようなお互いの相違点ではなく共通点を探すこと。

というのも重要だとも思います。

本作はそれ以外にも、聖廟がカラフルな糞により作られている物という描写や、ジロールの生殖活動が3つめのパートナーを必要とするなど、刺激的な面白さが沢山あります。

そんなこんなで力強く力作な本作。

しかし気になるのが、人類側で命を落とすのが二人とも若い女性であることです。

どちらかを男性にしたり、年齢で変化をつけなかったのはなぜなのか。

本作について考えてみると、1作目のおいて宇宙へ踏み出したコーティも死んでいます。

本作では、宇宙へ行く女性が命を落とす傾向にある。

果たしてこれは何を意味するのでしょうか?

そんなことも含めて次の項目で考えていきたいと思います。

作者の思い

本作の作者・ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは、1987年、弁護士に後事を託した後、病気で寝たきりである最愛の夫を射殺し、自らの頭を撃ち抜きました。

失明の上、アルツハイマーの疑いもあった夫、そして彼女自身も心臓病が悪化しており、二人の間には自殺の取り決めがあったらしいということです。

本作が日本で発売されたのが1987年であり、訳者の方が本作の翻訳しているときに亡くなったことが本作の訳者のあとがきに書いてあります。

その事実全てを作品に反映させることは出来ないと思いますが、私は作品には作者の思いや魂が入り込むと考えています。

「衝突」で、人類側で犠牲になるのが若い女性二人だというのは、今までの人類の社会が女性に対し、不当な犠牲を強いていたことへの象徴とも取れますし、そして好奇心を元に小説を書いてきた自分が、女性として受けてきた苦しみがあるのかもしれません。

しかし、私ティプトリーさんが、不本意で不幸な死に方をしたとは思っていません。

それは本作の表題作の主人公のコーティが最後の最後まで悲壮感が無く、明るいことが表してるように思います。

ティプトリーさんは、最後まで好奇心へ踏み出し続け、そして自分が選ぶ最善の終わり方を選択した。

私はそんなことを思うのです。

最後にシロベーンと共に、太陽へ突っ込むコーティと、ベッドに夫と並び、手を繋いだ状態で横たわったいた状態で発見されたティプトリーさんが、私には重なって見えます。

そして両方とも全力で生きて、自分自身で選択をしたとても幸せなな人生だった。

私はそう思います。

本作は、SFでありながら、人間の業や欲望や好奇心を、奇麗ごとではなく、不条理な部分も含めて描いた傑作です。

私もコーティみたいに、安逸な選択肢ではなく、自分を震わせる道に踏み出す人生を生きていこう!

そんなことを思わせてくれた本作に感謝して本考察を終えます。

何だかよくわからないモノを目指し、ブログやってます
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