河童は芥川龍之介さんの短編小説です。
芥川さんの小説は前期と後期で、かなり作風が異なります。
前期は、芸術的瞬間を切り取った瞬発力の高い短編や、道徳的で寓話的な短編が多いんですが、後期になると、私小説的な内的世界、そして厭世的な神経世界を描いた作品が多くなります。
河童は後期の代表作で、非常に象徴的かつ哲学的な作品です。
物語としては、ある精神病院の患者、第二十三号が主人公である僕に話した、奇妙な河童の世界を書きとめた筆記をベースに語られます。
ほとんどをこの筆記が占めるので、基本的にこの精神病の患者の視点が物語を占めます。
以下、物語の重要部分に触れるので、それが嫌な人はここまででストップしてください
河童の世界
この本における魅力の一つは河童の世界とその住人たちです。
職業や宗教や法律など、人間と同じ概念を用いながらも独特な考え方や運用をする河童たち。
この河童社会の表現から、作者の人間社会に対する皮肉や、滑稽さなどが滲み出ています。
まず河童たちは基本的に全裸です。
これを第二十三号がそれを指摘すると逆に服で肌を隠してる人間を笑い飛ばします。
河童は人間が正義や人道を真面目に語ることも滑稽で、さらに人間の産児制限についても、両親の都合ばかりで手前勝手と一刀両断します。
人間とは違い、河童の出産は、父親が母親の生殖器に口をつけて、中の子供に生まれたいかどうかの意思確認をし、そこで子供の答えを聞いて、産むかを判断するというもので、この描写はなかなかに衝撃的です。
河童の世界は、人間の世界をよりラディカルにしていて、非常に理論的に組み立てられてることが分かります。
それでは次に、実際に出てくる河童たちにスポットを当てていきたいと思います。
詩人のトック
髪を長く伸ばし、煙草を吸うトックは詩人であり、芸術のために生きています。
そして自由恋愛家で、妻子は持ちません。
河童の家族制度がばかげていると豪語し、多くの人の為に個人が犠牲になる社会主義などの思想にも疑問を持っているように見えます。
そして自らは超人だといい、芸術家に大事なのは、善悪を絶した超人であることだと説きます。
非常にニーチェ的です笑
しかし、彼の口から聞く、河童たちの具体的超人ぶりは、お酒を飲み過ぎて落ちて死んだ等々、聞くエピソードのほとんどが、哀しみや皮肉のニュアンスに充ちていて、芸術家の行き過ぎた自意識の哀れさを感じさせます。
トックは「玉子焼きは恋愛なんかより衛生的」という独特な意見を持っていますが、これにはどんな意味があるのでしょうか?
私見ですが、作者の芥川さんが、恋愛を生玉子だったり半熟だったり、常に状態が変化し、安定しないぐちょぐちょなイメージとして捉えているのかなあと感じました。
それに対して玉子焼きを、しっかり火の通った輪郭のしっかりした物として捉えて、その対比として、しっかり輪郭があり変化しない物の方が変化して良くわからない物よりも対峙しやすい。
そんな思いが込められているのかなあと思いました。
また男女の駆け引きや、性欲は時に美しく、艶めかしくグロテスクでもあります。
しかし玉子焼きは、火が通っていて、鳩じゃないですけど、安全とか平和を思わせます笑
そんなことを捉えて一つの表現に昇華したのがこの言葉なのかなあと個人的に考えています。
学生のラップ
河童世界の恋愛は、雌が雄をひたすら追い掛け回します。そしてたとえ逃げれても2、3か月は床につくほどのダメージを負ってしまいます。
学生のラップくんは逃げきれずに、雌に抱き疲れ、くちばしが腐ってしまいます(女性に溺れ、夢や仕事を腐らせる男のメタファーでしょうか)
その後、雌が仕向けられて雄が追わせられたりなどの、河童の世界における恋愛パターンがいくつか語られますが、共通してるのは全て雌が主導権を握っていることです。
河童の世界の恋愛の描写からは、女性への恐怖が滲み出ています。
作者自身の創作上の考えの一つに過ぎないのか、それとも女性や恋愛を本当にこのように捉えていたのかは分かりませんが、なかなか哀しく退廃的な感覚がそこには在ります。
音楽家クラバック
作曲家のクラバックはこの国の音楽家の中で、前後比類ない天才といわれています。
彼の演奏会を聞きにいった第二十三号ですが、そこに警官が乱入し、唐突に演奏禁止を言いわたします。
ここでも河童の世界は独特です。
河童の世界では本や映画みたいにちゃんと河童がわかるものに発売禁止や検閲はありません。
しかし河童は耳が無いので、河童が分からない音楽に対してのみ演奏禁止という検閲が入ります。
耳が無い状態というのを人間に置き換えるとすると、自分の心の奥深くで考え続けて、外界からの音が何も聞こえない、他人の言葉が耳に入らない状態といったところでしょうか?
この状態の人間の精神状態が、イコール河童の世界だと捉えるとなかなか重くて辛い世界観です。
また後半、自分のライバルの音楽家のロックに対しての意見も興味深いです。
「ロックは星に支配されていて、そこから生じるものを作っている。
安んじて自分にできることをしていて、彼は僕の影響を受けないのに、僕は彼の影響を受けてしまう。」
以上、自分流に要約してみましたが、なかなか切実です。
作家には色んなタイプがいて、その中には、生まれた環境など様々なことから、自分が書くべきことテーマを天命のように知っている人がいます。
こういう人は他の人から影響は受けません。
このころ勃興していた、労働者のためのプロレタリア文学も、生まれた環境を因とするテーマといえるかもしれません。
個人的な意見ですが、作者の芥川さんはいろいろなことを考えて、テーマをそのつど設定して作る作家だと思うので(特に初期は)クラバックの心情は芥川さんの声にも聞こえます。
プロレタリア文学の勃興に対し、そこに近づくことが難しかった心情もここには描かれているのかもしれません。
資本家ゲエル
硝子会社の社長をしている資本家ゲエル。
河童一、大きいお腹をしている、彼の口から語られるのは主に河童社会の政治やシステムです。
大量生産の河童社会には、いらなくなった職工を殺して肉にしていいという、職工屠殺法という法律があります。
かなり衝撃的な法律ですが、ゲエルは「餓死・自殺を国家が省略しているだけ」と言い切ります。
しかしよく考えてみると、人間の社会でも、大企業が儲けるための効率化により、多くの労働者が職を失ういうことは、少し前まで良く見る光景でした。
そのあとの政治の話でも、党を新聞が、そしてその新聞を資本家のゲエルが支配してるという構図も人間社会にそのまま置き変えれそうです。
そして、そのさらに先まで思考を展開するのが、この小説のすごいところで、そのゲエルを支配してるのがゲエル夫人だといい、今の内閣はゲエル夫人が支配してるともいえる、というところまで話はいきます。
これは個人を動かすものについての話が根本にあると感じました。
誰もが自分の味方をすることを第一とする、というのはゲエルが語る河童の特徴ですが、それは言い換えると、他人より自分の欲望を重視するということです。
河童は欲望に対して人間よりも率直です。
そして男性の欲望の根深いものに性欲があります。
フロイトはすべての根源には性欲があるといいましたが、ゲエルの支配に関するエピソードも非常にフロイト的です。
恋愛や女性に対する恐怖はありながらも、しかし性欲には支配されている・・・
作者の男性心理の見方は、辛辣です。
性欲の他にも、金銭欲、名誉欲も救いようがない男性の特性でしょう。
ゲエルは戦争のときに石炭殻を戦地に送り利益を得ましたが、その自分の行動を「利益の為だけではなくて、愛国心の発露でもある」と言って、非難をかわし名誉欲も満足させようとしています。
欲望に支配されてしまった男の悲しい末路が、ここでは描かれているように思えます。
裁判官ペップ
第二十三号が河童世界の法律について訊ねるシーンで登場するのが、ペップです。
彼が語る河童の世界の法律で印象的なのは死刑についてです。
河童の神経は繊細なので、犯罪の名を言うだけで、死に至らしめることが出来ます。
そして殺人さえも、相手にお前は蛙だと言い聞かせて(この世界で蛙は人非人という意味)ノイローゼにして殺すことも可能だという説明がなされます。
この繊細な神経の説明、そしてペップの最後も含めて、本作品に置いて重要なキャラクターがペップだと思います。(後述)
河童の哲学
次に河童社会の哲学を見ていきましょう。
前項では紹介しませんでしたが、作品の中盤で哲学者マッグという河童が出てきます。
そして彼の著作の「阿呆の言葉」は強烈です。
以下、一部を要約します。
- 阿呆はいつも彼以外のものを阿呆と信じている
- 最も賢い生活は習慣を軽蔑しながらも、その習慣を少しも破らないように暮らすこと
- 必要な思想は三千年前に尽きたかもしれず、我々はただ古い薪に新しい炎を加えるだけだ
- 幸福は苦痛を伴い、平和は倦怠を伴う
- 平和になるためには物質的欲望だけでなく精神的欲望も減じる必要がある
- 理性に終始すれば存在を否定することになるのに、理性を神にしたヴォルテールを信奉してるのは人間が河童よりも進化してないから
上記は、自分の心にグサッときたものを、自分なりにまとめたものですが、他にもすごいことをたくさん言っています。
しかし、これはなかなかに厳しい指摘です。
言葉に力があり魅力的ですが、厭世的過ぎて全てを受け入れたら、辛過ぎて生きていけません。
まるで穴倉の中で、ずっと思索した人が書いた言葉を見ているかのようです。
ただし、このあとマッグは、河童の生活を全うするには、河童以外の何者かの力を信じること、と言っており、これは宗教の力のことを言っていると思います。
哲学の及ばない部分もあって、それを宗教で補う必要があるとマッグは言っているわけで、良いことを言っていると思いきや、その宗教も救いがあるとは言い難い物なのです。
河童の宗教
河童の世界では、近代教や生活教という呼び名の宗教が、力を握っています。
旺盛に生きよをモットーに、飯、酒、セックスを推奨します。
その宗教の寺院は、この国一番の大建築で、あらゆる建築様式を一つに組み上げたもので、高い塔や丸屋根を無数の触手のように伸ばしています。
大量消費で快楽を追い求め、あらゆる思想の自分に役立ちそうな部分だけを浅く食い散らかし、それでも飽き足らずさらなる快楽を求める・・・・・
作者が近代社会をどのように見ていたか伺えます。
この生活教の聖書が、キリスト教とは違い、雌から雄が生まれたことにしてるのは、芥川さんが女性の方に生活臭の匂いを多く感じ取っていたということかもしれません。(個人的には全くそうは思わない)
日本人は特定の宗教を持ちません。
自分の快楽のみを求める生活教を一番、信奉してるのは日本人だと思います。
そして自分のことだけを考え、快楽を求めたら、それに押しつぶされていく・・・・・
ここにも作者が見つめる、悲惨な現実の姿が描かれているように思えます。
詩人の自殺
物語の後半で詩人のトックが拳銃自殺します。
芸術のための芸術を標ぼうしていたトック・・・・・
元々胃病で憂鬱になりやすかった彼ですが、最終的に詩人として疲れて頭を撃ち抜きました。
作者の芥川さんも自殺する前は生来の病弱に、いろんな病が重なり心身が弱っていました。
また芥川さんの初期の短編も芸術的一瞬を切り取ることに、重きを置かれていたように感じます。
どの河童にも芥川さんの影は多少なりとも入っていると思うのですが、トックがとくにその比重が重いのではないかと思えます。
トックは死後、幽霊になり、取材した記者とのやりとりが記事になりますが、それもまた悲惨です。
全集は出たかどうか聞き、出ているけども、売れてないことを聞かされます。
300年後みんな買うことになると言い張るトックですが、その後聞かされる現代において起きている事実といえば、自分のパートナーは違う河童の夫人になり、子供は孤児院に行っており、家は写真家のものになっている・・・・・
かつての文壇では肺結核や不治の病になってこそ、いい作家になれるみたいな風潮がありました。
しかし実際死んだ後の心霊世界や、現実世界は哀れな灰色の世界に見えます。
自殺したところで、名声が増えるわけでも救われることもなく、世界は無機質に回り続けるだけ、そんな作者の思いが滲み出ているように思えます。
神経と思索の世界の絶望
河童の世界は、思索的で厭世的な哀しい思想に包まれています。
この物語上で果たして、本当に河童の世界があったのか、それとも何から何まで彼の妄想だったのかは決定的な判断材料はありません。
しかし重要なのは、この作品は芥川さんが作った世界だということです。
言うなれば河童の世界は、そのとき芥川さんが感じ、考え抜いた上での、人間世界に潜む奥の姿を書いたものといえるでしょう。
芥川さんは、実の母が発狂していて、生来の病弱に加えて、神経衰弱や脳疲労など様々な病で体力をすり減らしていました。
そして最終的に睡眠薬を服用して自殺します。
これは個人的な感想ですが、芥川さんは自分の神経が病んでいくのを、客観的かつ論理的に見れてしまったのだと思います。
河童の世界に、貫かれてるのは残酷なほどの現実の凄惨さ、救いがたさです。
神経が弱った昏い場所から客観的に分析されたこれらのものを、道徳や綺麗事で容易に否定することは出来ません。
この物語は最後、第二十三号が裁判官ペップの自殺したことを話すシーンで幕を閉じますが、自分の中の芸術が死に、そして最後、理性で調和を司っていた裁判官が死に、第二十三号はそちら側に足を完全に踏み入れてしまったのでしょう。
現実の芥川さんは最後まで神経の世界を見つめ続け、作品を作りながらも最後は自殺します。
精神的に弱りながら狂うことは選ばなかった芥川さんと、狂気の世界へと足を踏み入れた第二十三号との差がそこにあります。
圧倒的な力
この作品はあまりに強烈なパワーがあるので、好き嫌いは本当に分かれると思います。
自分が河童を読んで感じたのは、衝撃と共感でした。
自分も自律神経が強いほうではなく、その日の状態により思考が左右されてしまうタイプなのですが、だからこそ、神経が弱った状態から、考えたことを見つめて物語にし、なおかつそれが非常に論理的で思索的にすることの過酷さが分かります。
自分は光の方へ意識を持っていきたいという思いから、プラスの哲学を集めて自分の思考をコントロールしている節がありますが、河童という物語は冷徹に神経の思索世界を描き続けます。
この作品が自分に光を与えてくれたかというとそうではないと思います。
しかし確実に何かを与えてもらいました。
そしてそれは自分の人生に確実に何かの変化をもたらしています。
読書というものの持つ圧倒的エネルギーを実感させられた作品でした。