<考察>i  想像力の先にあるもの

考察

「i」は作家の西 加奈子さんの長編小説です。

どこは見渡しても、殺伐として閉塞感がある現代。

そこで生きる人間にとって必要なことが沢山詰まっている小説であり、日常生活を送っているうちに摩耗していた心が、本小説を読んでいるうちに右へ左へ揺り動かされ、最後には、優しさで心が覆われるような、とても素敵な作品です。

そんな本作を自分なりに考察していきたいと思います。

以下、物語の重要部分に触れるので、ネタバレが嫌な人はここでストップしてね。

アイとミナ

まずは、物語の軸になるアイとミナについてくわしく掘り下げていきます。


アイ

この物語の主人公のアイ。

本名、ワイルド曽田アイは、シリアにいたのをアメリカ人の父と日本人の母に養子として引き取られ、アメリカで暮らしたあと日本に来ます。

アイは自分が恵まれた状況であることに常に罪悪感を感じています。

「シリアではいまでも人が死に続けているのにこんな幸せでいいのか?」

「そもそも、なぜ私が選ばれたのだろうか?」

さらには、罪悪感を感じている自分にさえ、嫌気がさします。

気持ちだけで、罪悪感を感じた所で、悲劇の当事者から見ればただの感傷にしか過ぎず、そういうのが当事者から見たら一番許せないんじゃないかと、気持ちががんじがらめになっている状態です。

彼女は、ノートに世界中で起きている事件の死者を書き溜めており、彼女の心の状態は常に切実です。

さらに繊細な心の持ち主であるアイは、両親の愛を感じてはいるものの、どうしても血のつながりのある親子との違いを考えてしまいます。

それゆえ、血や家系図みたいな、絶対的な物に対する憧れがあるのです。


繊細で優しいアイは、常に悩みや痛みと共に生きています。


ミナ

アイの友達として、非常に重要な役を担うのがミナです。

老舗のこんぶ屋に生まれ、裕福ではありますが、彼女も家庭環境は複雑で、兄だけが母の連れ子で、兄だけ父と血が繋がっていません。

よって血の繋がりがあるミナに、家業を継がせようと家族は考えています。

この血の繋がりだけで、後継ぎを決める日本的感覚を彼女は、非常に嫌っています。



またアイに対しては恋愛感情はないものの、ミナが恋愛感情を持つのは男性ではなく女性であり、ジェンダーに対する意識が低く、同調圧力が強い日本の社会に苦しんでもいます。

自分が苦しんでおり、悩みを抱えている人の気持ちに寄り添えるミナは、強い意思を持ちながらも、とても優しい子で、物語中の至る場面でアイを支えてくれます。


アイとミナの友情

アイは、日本に来る前はアメリカにおり、さらにルックスが日本人離れしているので、クラスではゲストみたいな扱いになっています。

ミナは、逆にみんなと同じ領域にいながらも、価値観が少数派という、同調圧力の中での孤独を抱えています。

それぞれ違う種類の孤独を抱えた二人が、お互いに惹かれあい友達になったわけで、この二人の友情が物語の軸になります。







それぞれの社会

この小説では、様々な国や社会の情勢、人々の暮らしが、しっかり描かれます。

アメリカは、自由で個性を重視する社会で、日本は逆にその共同体の場を重視し、突出しないことが求められたりと、この二国だけでも基準となる価値観が大きく違います。

さらにアイが生まれたシリアは、国自体が騒乱の最中にいますし、他にも途上国では生きていくだけで精一杯という国も沢山あります。

主観ですが、アイの両親や、ミナ等、この小説の登場人物の多くは、精神的に国籍に縛られておらず、自分の意志と状況とをよく考えた上で、主体的に国を選択しているように見えました。

人間はその時の状況に絶望すると、選択肢がそれしかないと思いがちですが、実は縛っているのは自分自身や取り巻く慣習であり、本当は選択肢が沢山あるということが往々にしてあります。

ただし、それは選ぶことが出来る状況にいるからという側面もあり、選べることや自由意志という言葉すら知ることが出来ないで死んでいく子供たちが世界には多くいます。

そして自分の意志では回避することが出来ない事件が、次から次へと世界中で起こっています。

この小説には、そういう社会問題から逃げずに考え続けていくことの大切さというのも大きなテーマとしてある。

そのように感じました。







二種類の数学

アイが、高校の数学Ⅰの授業で教師に言われる、虚数であるiは存在しないという意味で使われた

「この世界にアイは存在しません」

という言葉。

彼女は、この言葉に、自分の名前のアイや自らの存在を重ね合わせて、自らの心を縛っています。


また、アイは大学で数学を専攻するのですが、「数字が生み出す、意味を必要としない、美しさだけが輝いてる世界」にこもることにより、大学時代は、ある種、自分を閉ざしつつ、数学の世界に浸っていました。

数字というのは恐いもので、その客観性から、それ自体が価値を図るツールになってしまいます。

例えばマーケテイングで、どのお菓子がどれだけ売れたかを見たとして、これはそのお菓子が美味しいかということを表してるわけはないのに、意識として数字が大きい方が美味しいと、なんとなく思ってしまうのです。


また数字というのは、便利に色んなことを表現できる反面、人間を数値化してジャッジしたり、道具や商品にすることにも使えてしまいます。

アイは人間関係において、肩書や数値などでジャッジせずに、その人を自分の目で見て判断しているように思うので、その意味での数字の魔力とは無縁です。

ただし、あまりに色々考えすぎて意味に疲れてしまい、その結果、自分の存在を意味から逃がしてくれる数字の世界に、はまったのではと考えました。

あえて表現するなら、ここまでの数学は数値としての数学だと思います。




一方、大学に入ったときに、普段は無口の、津島という教授が言った数学は全然違います。

ぼんやりあったもの、あった方がいいものを形にするのが数学という考え方で、アイは存在すると言い切ります。

「iが無いなんていったら、負の数だって、整数だって無いし、ゼロだってインド人が作るまで無いんだから、無いことになるじゃないか!」

という彼の理論は、説得力があります。

これは、未知で分からないものに形や価値を与える意味での数学でしょう。

数字が本当に、本質的な価値を発揮するのは、こちらの数学ではないかと思います。

これをアイやミナに当てはめてみると、彼女たちは、お互いの価値を見出して、思いや言葉にしてるわけで、これは、後者の数学と根本的な意義では同じではないかと思うのです。





(閑話休題)冷笑的態度について

最近特に感じるのが、世間の社会問題に対する冷笑的な態度です。

特に何か社会問題に対し発言すると、すぐにきれいごとだ、偽善者だと言われる風潮が日本ではあふれています。

しかし、そういう指摘をする多くの人は、唯々諾々と今までの前例を踏襲するだけだったり、具体的解決策を考えることすらしていない人ばかりです。

それは現実を見ているようで、現実に堕しているだけです。



何も出来ないと実感しながらも、考え続ける。

たとえ、その時は形にならないとしても、そういう人が増えるだけで世の中は変わると思います。

きれいごとを憎む文化から、きれいごとを形にする文化へ転換することが大事だと個人的に思います。




対立する価値観を超えるには

物語の後半、中絶の是非をめぐり、アイとミナははじめて意見が衝突します。

お互い大好きな友人同士の二人。

しかし当然、違う人生を生きているのだから価値観の相違はありますし、取り巻く環境や、状況も違います。

この対立は、そんなに生やさしいものではありません。

アイにはアイの、ミナにはミナの事情があります。




しかし、この二人は大切な物を持っています。


それは想像力と相手に寄り添う優しさです。



劇中で、想像することは心を、思いを寄せること、という言葉と、会いたいと理解出来ないという気持ちの二つがあるなら、会いたいという気持ちを優先するべきだと思う、という言葉があります。

両方とも、本当に心に刺さる言葉です。

世界には、いろいろな宗教・文化があり、多様性が広がれば広がる分、完全に理解することは難しいでしょう。

しかし、理解しあえなくても、寄り添うことが出来るとするなら、いつかは理解できないその人丸ごとを愛せるようになるのではないかとも思います。

ここに今の世界から争いを無くす知恵があるように思います。





所属から尊重の海へ

アイは根底として自分はずっと特殊な存在で、どこにもいないんじゃないかという不安感・浮遊感を抱えています。

それゆえに日本の血の繋がりによるファミリーツリーの文化や、デモの連帯感など、絶対的な物に所属したいという願望があるのです。

しかしミナや、結婚相手のユウとの出会い、両親の愛情により、大きいものに所属する自分ではなく、想像力により考えることの積み重ねで作りあげた自分、そしてその想像力の延長にある他者の尊重に向かいます。

最後にアイが辿り着いた海の描写は、まるで生命が自由でありながらも、しっかりとお互いを認め合っているような、生命の恩寵としての海のように見えます。

アイが最後に辿り着いたiは、自分がここにいることだけが大事、というようなものではなく、想像力で悩み、考え続けることにより作り上げた愛が、自然と他者を思うことに繋がり、無限の力になる、そんなiだと思いました。

この小説は、閉塞感で八方塞がりな現代に優しい光を与えてくれる素敵な物語です。

沢山読まれている本作ですが、もっと多くの人に読んで欲しい!そう思える一冊でした。

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