「ゴリラ裁判の日」は、小説家の須藤古都離さんの長編小説で、2022年にメフィスト賞を受賞した作品です。
私が本作を手にした理由は、ずばりジャケ買い!! イラストの可愛さとタイトルパワーにやられちゃいました。
そんな本作ですが、まず驚いたのは、現実・科学を下敷きに物語が描かれることでした。
私は勝手にカフカの「変身」のような不条理系か、ファンタジーベースの不思議系の作品で、ゴリラも現実感の無いある種、二次元キャラの様な存在で描かれる作品なのでは?
そんな風に予想していたので、時間軸も含め、しっかりゴリラと人間社会の物語が描かれている事が想定外でした。そしてそれがしっかり面白い。
そしてこれは前の書評の「BUTTER」にも共通する事ですが、本作もまた様々な問いや示唆に富んだ、哲学的・社会学的な作品でした。総合小説的な作品の読書が意図せず続いている形です。
まずは以下、あらすじです。
▼あらすじ
カメルーンで生まれたニシローランドゴリラのローズは、人間に匹敵する高い知能を持ち、言葉を理解して「会話」もできる。
存在が注目されアメリカに渡り、動物園で暮らすようになったローズは、そこで出会ったゴリラと夫婦の関係になる。
しかしある時、柵を越えて落ちてしまった子供を助ける為という理由で、ローズの夫のゴリラは射殺されてしまう。
納得出来ないローズは人間に対して裁判を起こす。
ゴリラの命は人間より軽いのか?
正義は人間に独占されているのか?
本作のテーマは、ゴリラと人間を分けるものは何か、人間とは何かという、「種」に対する問いかけです。
物語は裁判を軸に描かれるのですが、「正義は人間に支配されている」という作中のローズの言葉通り、そもそも司法制度自体が人間という存在を想定しています。
本作はそこに「言葉を理解出来るゴリラ」という存在を加え、人権の範囲、種とは区別とは偏見とはという、広範な問いを、ローズやそれ以外の豊かな登場人物の様々な視点で描いていく作品です。
物語は冒頭でも述べたように、地に足がついた現実ベースです。
またジャングルで研究員と出会い手話を覚える所から、アメリカに行くまで等、裁判を起こす前までの経緯も丁寧にしっかり描く為、ローズの経験を追体験出来、気持ちがしっかりと乗っかります。
私が印象的だったのが、ラップやプロレスというストリートや荒々しい、何かに風穴を開けるようなカルチャーについて、本作で描かれている事です。
そもそもが裁判制度に風穴を開ける物語でもあり、今広がり続けている分断の上にぽーんと新しい可能性を投げかける作品なので、言われてみると違和感は無いのですが、物語のエンタメ性の枠すらも、広げようという感覚が心地よいです。
ここまでの話を聞くと、本作は司法制度を否定的にとらえているのではと思われそうですが、そんな事はなく、欲望や矛盾を抱えている人間が、よりよい社会を築く為、正義に近づく為に改良してきた努力のシステムであることもしっかり語られています。
その上で本作で問いかけているのは、その正義は人間のものなのか、そもそも人間とはどの種までを含むのか、そもそも尊重されるのは生物のどこまでなのかという、答えが難しく、理想と現実が乖離しがちな複雑な問題です。
それらの問いが、特に後半の裁判部分から一気に噴出し、クライマックスを迎えます。ここでのローズの言葉を私はまだ全て整理出来てませんが、鳥肌ものなので是非読んで欲しいです。
これは私自身の勝手な感想なのですが、後半部の問いや様々な示唆に対し、作者さん自身もあえて整理しきらないで書いているのかな、そんなことを思います。
書いていて、下りてきた直観と感覚で、存在に関する様々な問いを繋いでいる、私はそんな印象を、特に後半部分について持ちました。
だらこそ一見別のレイヤーに見える問題が、脳を横断的に刺激しつつ、何か一つの答えに繋がりそうな、その先にある何かにいつか辿り着けそうな、そんな感じを、本作は抱かせてくれるのです。
本作では、言語の限界、宗教と精神、人種問題、弱者と強者など、本当に様々な問題に言及しています。
しかも文体も難しくなく、物語自体がしっかりしているので、読みやすいです。
本作は、現在、分断の壁が最大化している中、その上に「種」の拡大の可能性を投げかけるスケールの大きい作品です。
これからの世界で、より重要になってくる大事な事が沢山詰まっているので、気になったら是非読んで欲しいです。

