<ゲーム評>「ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生」 骨太で革新的、納得の一作目!!

書評

「ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生」は、2010年に発売され、人気を博したミステリーアドベンチャーゲームです。

ダンガンロンパシリーズは、以降もナンバリングタイトルが発売され、各種メディアミックスもされ、現在でも根強いファンを抱えているノベル系ゲームの雄。

そもそも私が初めて、ダンガンロンパに触れたのは、ゲームでなくアニメでして大学生の時。

某国民的ネコ型ロボの声優さんが、デスゲームを主宰するクマを演じていると知り、「攻めてるなー」と思い、全話視聴したのですが、その時期は、推理小説ばかり読み過ぎて、クローズドサークルとか犯人当てとかから、心が離れている時期だったので、面白いと思いつつも、特に深掘りもせずに、海外SF小説へと興味は移っていった次第。

しかし昨年、知り合いの20代の子から、ダンガンロンパ2は神ゲーなので、絶対やってくれと言われ、10年越し位にダンガンロンパシリーズをプレイ。

やはり人が熱意をもって薦めるものは「何か」があるもので、ダンガンロンパ2はまじでエモさ全開の神ゲーでした。

そこで私は「ひょっとして、1もアニメよりゲームの方が面白いのでは?」、そう思い、即座にダンロン1をダウンロード。そしてあっという間にクリア。

そう、1もまごうことなき神ゲーだったのだ!!

シリーズの原点だけあって、1は全ての骨格がしっかりしていて、メッセージ性もかなり明確なのです。やはり1作目は偉大です。

もちろん私はその後、三作目であるV3もやりましたよ。

というか今回、ダンガンロンパシリーズを1から語りたいと思った半分くらいは、V3の事が言いたいから(笑)。V3はゲーム史に残る事件です。

とはいえV3を語るならば、その前作で、エンタメ作品として完成されている1と2を語らねばなりません。ゆえにどこかでダンロン2の事も書きます。そして最後にV3笑

それでは以下から、本文に移ります。以降は、本作の黒幕にもがっつり触れるので、ネタバレが嫌な人はここまででストップして下さい。

クローズドサークルでの推理デスゲーム。

正直な話、私はこういうタイプの作品を最近まで忌避していました。

どの作品も、少なからず人間の死をエンタメ利用しているけれど、デスゲームはそれが露骨すぎてちょっとなあ・・・

という文学的性向が私をダンロンシリーズから遠ざけていたわけですが、実際にプレイしてみると、理知的で考えられたテキストやシステムに驚きました。

多分デスゲームの、日本での先駆けは、バトルロワイヤルだと思うのですが、今、考えてみてもバトロワはやばかった。

何せ、いきなりバスごと拉致して、島で中学生同士を殺し合わせるわけで(しかもかなり凄惨)、私はちゃんと最後まで映画は見ましたし楽しみましたけど、個人的に好きな作品には入りません。あくまで劇薬という感じ。

しかしダンガンロンパは、デスゲームでありながら、こちらの罪悪感のラインと、快楽のライン、それと理屈が、しっかりと組み立てられていて、何て言うかしっかり愛してもらえる作りになっているのです。

本作にも、モノクマというクローズドサークルの絶対者がいるけど、殺人の強制はしません。

学園から出るには殺人をする必要があるわけですが、それは学級裁判で見破られずに、かつその場合でも全員の命を犠牲にする必要がある。実はかなり心理的ハードルは高い。

ゆえにモノクマが、映像や手紙など様々な手段を用い動機を誘発し、殺人をさせようとするわけですが、自身は手を下さない。殺人はあくまで集められた彼らの意志により行われる。

そして殺人が起きたら学級裁判で話合い、犯人が当てられれば、「おしおき」という名の処刑が待っており、もし犯人を外したら、犯人以外が全員処刑される。

つまりプレイヤー側は、自分たちを守る為に、犯人を暴き、死刑台に送るのが目的なので、良心をそこまで損なう事がないわけです。そして処刑もモノクマが用意した、悪趣味なエレクトリカルパレード的な装置で行われるので、その責任も負わない。

その意味でプレイヤーの良心の負担は、実はかなり軽減されています。

また殺人を犯したキャラにも、それなりに理由が与えられていますので、キャラへの愛着感も損なわずに済む。

とまあこんな感じで、防波堤が幾重にもあった上での、キャラの処刑タイムなので、ゆえにプレイヤーは残酷だと思いつつも、どこか余裕のある状況で、非常にポップな処刑を楽しむ事ができるっちゅーわけです。

処刑についての詳しくは、次の項目で書きますが、人間というのは、アンビバレンツで複雑な生き物で、愛する人を物として扱ったり、ひどい事をする・されているのに興奮する一面も、持ち合わせています。

その意味で、その快楽を許容出来るシステムをしっかり組み上げているのが本作のすごいところなのです。

本作のシナリオを手掛けた小高さんは、本作をサイコポップ(たぶん造語)と表現しており、小説のメフィスト賞的な雰囲気を目指したとインタビューで答えています。

残虐な殺し合い、異常空間での悪夢のような体験を、デフォルメされた魅力のあるキャラクター。モノクマという可愛いのに残虐なマスコット。そして血をピンクのペンキの様に描き、キャッチーにした事。その全てが奇跡のように嵌り、唯一無二の中毒性のあるゲームデザインが爆誕。

これらの魅力的な要素に加えて、前項でも述べたように、それを楽しんでいいという心理ラインは確保されているので、プレイヤーはおしおきに興奮している自分に罪悪感を感じながらも(少しの罪悪感こそ快楽のスパイス)、あくまで自分を善側に置き、ゲームを楽しむ事が出来るというわけです。

そもそも人間は太古の時代から、エロ・グロ・ナンセンスを愛しています。ローマのコロッセオしかり、人間の本能には、残虐で後ろ暗いものを楽しむ性質が確実に組み込まれている。

これは人間及び生物の、違う生物を殺し、その肉を食べているという「食」と、そうして殺した生物から得たエネルギーを利用してセックスをし子を産む、すなわち「性」が、無意識に組み込まれているからなのではと、現在の私は考えています。←またどこかで考え変わるかも

もちろんそのような本能が常に全開だったら、社会生活は上手くいかないので、普段は理性でそれを隠し、生きているわけですが、どんな人間だって、残虐で自分勝手な欲望は潜んでいるのだと思います。

その意味で本作は、実に上手く、その快楽を引き出している。

デスゲームの登場人物は減りはするものの、変わらず、どんどん愛着が湧いてくるし、その彼らの誰が犯人かという疑心暗鬼も興奮という快楽に直結し、かつ愛着のあるキャラクターがポップにひどいことをされることが見れる。ある種、悪魔的なエンタメシステムです。

そもそも性欲には、対象を物として扱いたい、好きなようにしたいという願望が密接に絡んでいるわけで、本作は、まさに複雑な欲望を持つ人間へのダイレクトアタックのような作品。

ただし大事なのは、本作はキャラの使い捨てではなく、基本的にどのキャラクターにも見せ場や愛着があることです。ついでに私の好きなキャラは、朝比奈葵!!

しかしネットの人気投票で順位に全く入ってなくて絶望。自分の推しキャラが1位なのも嫌ですが、あまり人気が無いというのも悲しいもんです。

↓朝比奈葵。いい感じのアホさと無邪気さが可愛い

さてここまで快楽とかエンタメ性とかを語ってきたわけですが、本作はテキストがとてもしっかりしており、そしてしっかりしているという事は、とても考えて作られているという事で、とても考えて作られているという事は、中身もしっかりあるという事←無駄に長い三段論法おつ

その中身や本質的な点は、次以降の項目で語ります。

江ノ島盾子。

正直な話、私は彼女の事を書きたいから、この記事を書いていると言っても過言ではありません。(もちろんV3の事もあるよ)

超高校級の絶望として、希望ヶ峰学園のみならず、全世界を絶望に叩き落とした彼女。

その態度は、さながら脱力系の万華鏡。

ジョジョ立ちから、メガネ姿、萌えキャラテイスト、その声色も含めてコロコロ入れ替わる、軽やかな悪意に満ちた流動。それが江ノ島盾子なのです!!

「私様は待っていたのよ! あなた達のような人間が現れる事をね!」

と高らかに宣言し、直後ドラクエの龍王的問いを投げかけられた段階で、もはや私の心は完全に掴まれていました。

そう白状するなら、私は江ノ島教の江ノ島信者。

私はパラノマサイトの黒幕のあの方も、かなりアレで(笑)、好きでしたが、現在、イカれ黒幕キャラランキングの中で、不動の一位に輝いておいでなのが、江ノ島盾子様なのです。(モノクマの人形を操り、うぷぷぷぷとか言ってたんだなあと思うと、実に尊い)

さてそんな彼女が最後の裁判でたびたび口にするのが「飽きる」という言葉。そう江ノ島様はあらゆる事、全てに「退屈」しておられるのです。

以下、江ノ島様の言葉を抜粋。

そうこのお言葉は、エンタメ論であり、政治論や社会論でもある、実に鋭いご指摘。

人間は自分が楽に見れる同じようなタイプの作品、いわゆるマッサージ器具的なものか、マーケティングの型に落とし込まれた、二番煎じ的な作品ばかりを求め、それがただ消費される。

その場の猟奇的な雰囲気に流されて、彼女の言葉の核心をスルーしてしまう人も多いですが、実は彼女の、特に作品論としてのこの発言は核心を得ています。

さてここで少しだけ江ノ島様から離れ、本作のシナリオを手がけた小高さんの事に言及します。

私は本来、その作品の事を考える時に、あまり作者の方がどういう考え方をし、どう生きてきたか、どういう世代かというのを考慮しない方です。

私はその<作品の中から抽出出来る>本質や作者の思想を掘り下げるタイプで、もっと言えば、作品自体が私に与えてくれた宝石を磨いて、文章にするタイプです。←何か偉そうで嫌だわ、この人

しかしV3みたいな事をされた場合(笑)、いやおうなくその作家個人の事を語らざるを得ない。ゆえに1の段階から小高さんの思想に踏み込みますが、既にこの段階から、V3みたいな事になる前兆が、垣間見えています。

本作において超高校級の希望が苗木誠君で、絶望が江ノ島盾子です。作品内でみると苗木君の存在感はあるし、希望としてのメッセージはしっかり表現しています。しかしそれでも絶望の江ノ島盾子の輝きは、それを凌いでいます。(個人の感想)

それはやはり小高さんが抱えてきた絶望感みたいなものが、彼女にライドしているからのように思います。

上記の江ノ島盾子の発言。それは、同じ様な作品、売れそうなマーケティング作品の退屈さ、そしてエンタメ企業なのに面白そうなものに挑戦しない姿勢、という小高さんがエンタメ業界に抱えていた絶望が、意識的にか無意識的にかはともかく、形となって現れたもの。私はそう捉えています。

折しも、ダンロンが出る数年前の00年代は、何の説得力も持たない薄い「ありがとう」や、とりあえず皆が好きそうな「桜」が連呼されるような、形式的で浅薄なエモの時代でした。

そんな中で、それら全てを退屈だと破滅させにきたギャルが、江ノ島盾子なのだとすると、もうこれは彼女にライドするしかありません。←お前はな

そう、形だけの換骨奪胎された希望は、実に退屈なのです。00年代の感じは、まさにその退屈な希望そのもの。(ただし、苗木君の本作での行動こそが、退屈じゃない希望を提示している。ゆえに最終的に絶望は負ける)

その意味で言うと、私の中で、江ノ島盾子がギャルであり、姉の方が軍人である事も実は、かなり良いと思っているポイント。

江ノ島盾子はいわゆる白ギャル・綺麗系であり、かつてのガングロの様な、ある種の社会運動的な象徴としてのギャルではありません。←私はヤマンバメイクとかのあの流れは、ルッキズムや女性らしさへの無意識下での抵抗運動かなと見ています

雑誌という広くあまねく販売される媒体のお姫様で、十代の輝きを身にまとい、全てを馬鹿にする怜悧な姿勢。

これがアイドルだったり、主人公の幼馴染だったりした場合、そこには物語や思想が乗っかります。しかし江ノ島盾子はただの表層メディアに乗っかるギャルであり、何の物語もありません。

それどころか、内心ではその表層メディア全てを馬鹿にし、自らそれを破壊する死神。つまり彼女が体現するのは可愛さと「絶望」だけ。

そう、実にやりきっている素晴らしい「私様」なのです。

その意味で、姉の軍人というステータスが、ギャルによりあっさりと利用され殺される所も、実にグレート。

秩序の為に暴力を管理し、それを国家の為に奉仕する公僕としての軍人。恐らく彼女の中で、そんな姉のステータスこそ、もっとも「私様」から遠い、退屈なステータスだったのではないでしょうか。

私自身、社会に対し、上辺ばかりを取り繕い道徳を説くくせに、学校などの集団の場では、物言わぬ兵隊のような秩序を求めてくる事に対し、ずっと違和感を持ってきました。←まじでなじめなかったなあ・・・

それらを

「なら全部ぶっ壊すわ。退屈だし」

と破壊したのが江ノ島盾子であり、そこには00年代に青春を送ってきた人の絶望がしっかりライドしているのだと思います。

そんなわけで、この項目の最後には、そんな江ノ島様の「絶望」への問いに対する、お言葉を抜粋し、ここに乗せておこうと思います。

さてさて、前項では敬愛する江ノ島盾子様と絶望に関し、力説してしまったので、ここからは本筋である希望について述べます。

本作は学校内を舞台にしたクローズドサークルのデスゲームです。

こうやって言葉にすると、改めて感じるのが

「あれ、これって普通の学校と大して変わらくね」

という事です。

思春期で不安定な子供。それも同年代を数十人同じクラスに閉じ込め、規則を重視させ、つまらない授業を受けさせ、テストで競わせて、蹴落とし合いをさせる。

実際の学校に、殺人は、ほとんどありませんが、いじめや自殺はあるわけで、その意味で現実の学校もデスゲームと大して変わりは無い、そんな事が言えそうです。

退屈な授業やテストは学級裁判に置き換えられ、クラスの中に現れる不穏や不和を、絶望に置き換えるなら、本作はまさに現実のカリカチュア。

さてそうなってくると大事なのは、本作の結末です。

結論から言うなら、本作のラストは

「自分たちを閉じこめていた学校から出ていき、外・未知の場所を目指す」

というゴールであり、これが本作の物語としての核です。

主人公である苗木誠君は、特に取り立てた才能があるわけでなく、運で選ばれて希望ヶ峰学園に合格しました。そして最後の最後に、超高校級の希望だったことが分かる、そういう筋立て。

さてここで重要なのが、果たして「超高校級の希望」とは何なのかという事。

スイマーだったら水泳だし、プログラマーだったら文字通りコンピュータープログラムですが、希望とはきわめて抽象的な概念で曖昧です。

そうなると私たちが希望として判断する材料は、彼のゲーム内の行動にしかなく、事実それが希望をひも解くヒント、というかそれ自体が最早答えでしょう。

彼がやったのは、「仲間とコミュニケーションを取る事」「様々な事を観察し、自分の思考を駆使し事実を特定する事」、そしてその上で「誰もが持つ人間性と未来を最後まで信じる事」です。

彼は序盤で、舞園さやかに裏切りに近い行為をされますが(彼女にも事情はあった)、彼の思考は舞園さやかを恨むのではなく、共感と同調部分を探す方向に展開し、その性質は以降の、本作の事件においても、一貫しています。

また彼の名前もとても象徴的で、皆とコミュニケーションを取り、事実を積み上げていく事で、誠実さ、誠という木を苗から育てていく、その様な意味があるのではないでしょうか。

ここで大事なのが、苗木君がやったこと全てが、特別の才能が無くても、誰でも出来る事である事。彼がやったのは、「意志」の行使「信じる」の行使「前向き」の行使です。

さて本作の登場人物のほとんどが超高校級の才能を持つ中、主人公は意志を行使する普通の人だったという事実。

つまり本作は、最終的に重要なのは才能じゃねえ、お前の意志なんじゃい! という事を高らかにこちらに訴えかけているのではないでしょうか。

そもそもが他の子にしても、あくまで超「高校」級です。その測りは学校という物差しであり、外に出れば二十代や三十代のリアルプロがうようよしています。そしてそのプロの中には高校の時は特段目立たなかった人もいるでしょう。ゆえに大事なのは意志、ビバ意志!←どうしたお前

そもそも最後の選択肢が、絶望により苗木を犠牲にし、ずるずると生きていくか、苗木を生かし未知の外に出るかという物なのも痺れます。

未来の苗を殺すのは絶望であり、一方、その苗を生かし木まで育てられるかは希望にかかっている・・・

本当に素晴らしいシナリオです。そして全員が未知の希望を選択する。

つまるところ本作は、古いシステムであり既に役割を終えた学校から、生徒たちが自立して出ていく話なのです。

注(とはいえ私たちは「学園モノ」というエンタメを好みます。その集団性を愛好し理想を投影してしまう日本人の性向という絶望、また若い世代に過度に期待し、自分の世代を諦めている一つの老外的な態度もまた、希望ヶ峰学園に現れてるかもしれません。江ノ島盾子が世界を絶望に叩き落とす大円団に選んだのが、未来ある若者たちが学園で殺し合う姿を放送するという手法だったのも、実にアイロニーが効いています)

私がいいなと思ったのは、扉を開けるところでゲームが終わり、外の世界が特に描かれないところ。

そこから象徴を読み取るなら、外に広がるのは、ゲーム機の電源を切った後に訪れる、私達自身の厳しい現実世界かもしれません。それでも希望があれば、自ら探せば、楽しく前向きに生きていける。

かなり完璧なエンディングであり、多分、小高さんを含め制作グループ内の方は、二作目の事はあまり念頭に無かった事と思われます。それ位素晴らしい一作目でした。

本作は、アドベンチャーゲームの金字塔としてこれからも歴史に残る作品だと思うので、是非、未プレイの人はプレイして欲しいです。(ここまで読んで未プレイの人はあまりいないと思うけど、一応言っときます)

近日に、シリーズで一番人気の高い二作目のゲーム評も出しますので、しばしお待ちください♪

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