「BUTTER」は日本の小説家、柚木麻子さんの長編小説で、社会派でかつその枠にとどまらない内容が、海外でも評価されている傑作です。
私が本作を手に取った理由は、年に二・三回唐突に来る、本屋の平積みの本をチェックしたい欲求から購入した「ババヤガの夜」が素晴らしかったからで
「これは今の平積みは熱いかもしれない!」
と思い、隣に威風堂々と積まれていた本作を華麗に購入し、読了しました。
さてそんな本作ですが、マジでとんでもないエネルギーを秘めた怪作です。
本作は、00年代後半に婚活サイトで知り合った複数の男性から多額の金銭を得た上で、3人を練炭自殺に見せかけ殺害し、死刑判決を受けた木嶋佳苗死刑囚や、その事件をモチーフにした作品です。
しかし本作はその枠にとどまらない、様々な思想や問いを突き付けてくる、総合小説の様な小説であり(詳しくは後半で語ります)非常に社会的である一方で、文学的です。
では以下、あらすじです。
▼あらすじ
様々な男たちの財産を奪い取り、殺害した容疑で逮捕された梶井真奈子。
世間からカジマナの愛称で呼ばれる彼女は、若くも美しくもなかった。
週刊誌記者の町田里佳は、親友である伶子のアドバイスを足掛かりに、難攻不落であった梶井の面会を取り付ける。
その面会以来、梶井の心中に迫るべく里佳は、梶井の食やシチュエーションに基づく指令を実行し、じわじわと、その欲望や哲学に影響されていく。
梶井真奈子という存在や事件は、里佳や伶子、そしてその周りの人の人生に様々な変化を起こさせていく。
冒頭で、本作は実在事件のモチーフにとどまらない「総合小説」だと言いました。
その理由は、本作が、作者さんの思想、登場人物の様々な哲学が混じりあい、問いを突き付けてくる、非常に鋭利で横断的な作品だからです。
「総合小説」という言葉は確か、村上春樹さんが何かのインタビューで言及していた言葉だと思い、私の定義もそれとほぼ同じです。(そのインタビューのあまり詳しい内容は覚えてないので不確かではありますが)
私の総合小説の定義は、トーマス・マンの「魔の山」やドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のような、様々な思想や哲学のエッセンスが詰め込まれた、主題の範囲とスケールが大きい作品群の事で、まさに本作はその条件に当てはまるのでは、そんな事を思います。
本作は、しっかり物語が動きますし、エンタメ性もあって、読みやすい文体です。
しかし描いている心理の機微や問いが容赦ないのもあり、読むのにかなりエネルギーを使う作品だと思います。ライトな作品が好まれる現代において、これは素敵な事です。
そんな本作には、本当に様々な人間が登場します。
主人公の里佳、カジマナ、親友で完璧主義に見える伶子、里佳の彼氏の誠、同僚の北村。カジマナの家族や地元の人間、カジマナが通ってた料理教室の人などなど。
それぞれが良い部分もありつつ、屈折した歪みを抱るリアルな人間であり、まずこの描写が素晴らしいです。
本作の物語は、基本的に、里佳が葛藤しつつも、カジマナの人生や事件・哲学を追体験し、自身の答えや人生を導いていくという流れなのですが、その思考に変化を及ぼし影響を与えていくのが、上記の様々な人間の思想や哲学です。
素晴らしい人間だけでなく、癖や問題がある様な人間の発言にも、一種の真理やその欠片がある。それを本作は提示しています。
里佳や伶子に対し、自分は父を求めているくせに、良妻賢母のような愛される振る舞いを軽蔑してるから愛されないと言い切る、カジマナの発言。
これも人間という存在が、本質的に自分を気持ちよくさせてくれる快楽や、優しさを求めているというざっくばらんな真理の一部分でもある気がします。
また里佳が言う、自分を粗末にすることや、ちゃんと暮らしてくれない事は暴力だ、という言葉は個人的に目からうろこでした。
また「家族とはセックスが出来ない」という小説内の人物の、浮気や不倫を肯定するような発言も、性欲を家庭と切り分けて上手くいく場合や、性欲というものは継続性や慣れと相性が良いのだろうかなど、色々と考え出すと軽々に否定は出来ない、そんな風にも思います。
更に本作は、人間が嫌らしいプライドや世間体に縛られている哀れな姿も、容赦なく突き付けてきます。
カジマナも、その手に翻弄される男も、里佳も彼氏の誠も伶子も、意識に無意識に、プライドとマウントをお互いに抱き、世間体を軸に比較という息苦しい自縄自縛の中で暮しています。
あいつはデブでブスだからと馬鹿にしてる、ゆえにその相手に安心して依存する男。その男をもてなしつつ自身の崇拝者に作り上げている、その様な意識を自我に埋め込み、それを信じ込む女。完璧を提供しつつも窮屈だと忌避される女など、人間が自身のプライドや比較を軸に、満足の出来る癒しの相手を欲する、どうしようも無い性を、本作は問いと共に、淡々と描きます。
また本作はカジマナの抱える問題点の全てを切り離すわけでなく、里佳を含めた全員の問題点だと捉えている事も秀逸です。
そもそも書評を書いている私自身も、友人10人どころか5人も集められないし、「いつか」の人間関係に備える余裕もなく、自分の「今」の欲求を充足させる為に生きている人間だと思います。しかしそれでもどうにか生きていかなくてはいけません←人生は大変
本作が描く欲望の形を二つの対比に分けるなら、独り相撲で背後に「自分」しかいない欲望と、「他人」から影響を受け変化していく欲望、その様に分けられると思います。
しかし、そんな独り相撲の歪んだ思想からも学ぶことがあり、そしてその思想も必要である。本作はそういうメッセージ性を含んだ、ありとあらゆる人間の思想や哲学の、影響や問いを排除しない、安易に答えを出さない、非常に大人な小説なのです。
本作から表現を借りるなら、人生のように貪欲に味わうに値する本、それこそが本作なのだと思います。

