連絡帳に落ち着きが無いと言われてから早数十年。
私は相変わらず、落ち着きがありません。
例え座っていたとて、じーっとしているのが苦手な私。
なのでカフェに行って優雅に読書をしようとしても、すぐ眠くなるという特性からも、手で頬をつねったり、無意味に口をパクパクさせたり(眠気が一瞬覚めるのだ)と、何だかぐにゃぐにゃ動いてます。
さすがに先週、映画館に行った時は、迷惑を避ける為に、ひたすらじーっと暗闇で身を潜めていましたが←何か変態みたい
映画はもちろん楽しめたものの、ふと気を許せば3分に1回くらいは「暗闇でじーっとしている私」に意識が行ってしまい、手の位置や足の位置などの末端神経が何だかうずうずしてくる、という症状に悩まされながら私は映画を鑑賞したのです。
まあこんな感じなので、例えば長編の小説を読んでて、とても良い場面の時に「あれ、俺今までめちゃくちゃじっとしてたな」と思ったら最後、ずっと読んでたはずなのに急に本を持つ手や指の位置が気になり始めるという悲劇に襲われてしまうのです。
休日にしたところで、今日は一日家にいて本を読もう、とか決めたところで、お昼前には嫌になり、どこかへ出かけてしまいます。
落ち着きが無いプラス飽き性ということもあり、私は同じ景色が続くのが嫌な生き物なのでしょうね←なぜ他人事なのだ
まあそう考えると私が、異常に旅が好きなのにも頷けます。
もちろん旅先の観光地も好きなのですが、新幹線や深夜バスで移動してる時がテンションマックスだったりするのも、景色が変化し移動しているという実感に酔いしれているからなのかもしれません。
しかし旅人ならいざ知らず、私の人生の主目的は、小説や文章を書くこと。
つまり同じ場所で根気よく留まる能力が必要なわけで、移動能力など何の役にも立たないのです。
なので私は半年前位の時に1回、覚悟を決めて
「今日一日は、どうしても我慢できない生理現象以外はソファーから動かないぞ」←頻尿も治りそうな感じ
という新しいタイプの修行を導入したことがあるのですが、無事に1時間で私は外に出かけていました。
そう私は痛みや苦痛や欲望に圧倒的に弱いのです。
ここまで考えてみたところで、この落ち着きの無さは現状において治療は不可能であると判明した気がします。
さて、そんなわけで私は遠い将来、人類が脳味噌だけをショーケースに入れて生きながらえる存在になるまでは、右往左往し、あっちにいったりこっちに行ったりして、迷惑をかけながら生きていこうと思います。
人生ガンバロー!←最近この終わりばかり