私は秋葉原にたまに買い物に出かけます。
今やネットで物を買うのが主流の世の中ですが、DVDやゲームなどを実物のパッケージを見て買うと言う行為が好きな私は、何も買わない時もあるにせよたまに秋葉原へ物見遊山に出かけるわけです。
しかし秋葉原に行くと必ず悩まされる問題があります。
それは「トイレ問題」です。
そう秋葉原に行くと駅の中を含め、どの商業施設でも必ずトイレには長蛇の列が出来ているのです。
池袋や新宿、大宮という大都市にも私はちょいちょい足を運びますが、これらの都市は人が多いのは一緒ですが、トイレにおいて苦労した経験はまるでありません。
つまりこの「トイレ問題」は、こと秋葉原だけが抱えている深刻な問題の可能性があるのです。
私は毎回、秋葉原に行った帰りに
「次に行くときは秋葉原のトイレは修羅の世界であることを心して臨むようにしよう!」
という次回に対する心構えと己に対する戒めを固く心に誓うのですが、次に秋葉原へ向かう時はコロッと忘れているわけですから手に負えません。
そんなこんなで先日もしっかり秋葉原のトイレの洗礼を受けてきた私。
それ以来、色々この問題に思いを馳せてきたのですが、ようやくこの現象について一つの仮説を組み立てることに成功しました。
それを端的に言うと
みんな秋葉原にトイレをしにきているんではないか
というものです。
どういうことか説明します。
まず家や学校で食事をして栄養を摂取すると共に排泄物も体にたまっていきます。
そしてある程度たまった段階で、意識が自然と秋葉原に向かうようになっている。
これは秋葉原が発している何かしらの地場が人体に影響している。
ざっといえばこんなところです。
つまり秋葉原とは
Akihabara Unko City
略してAUCである可能性があるのです。
おそらくこれを読んでる人は、そんな馬鹿なことがあるかと一笑に付すことでしょう。
そもそも尿意にしても便意にしても、それを催したらすぐにトイレに駆け込むではないか。
その疑問は最もです。
しかしAUCの力を舐めてはいけません、そんなメカニズムは百も承知です。
つまり便意や尿意を催す3時間前位の段階で無意識に秋葉原へ足が運ぶようにする電波が直接、脳に働きかける仕様になっているのです。
だからこそ本人たちは、本当はトイレをしに秋葉原に来ているにも関わらず、意識の上辺だけ取り繕われた偽の予定により秋葉原に来ていると錯覚するわけです。
ここまで聞いても、いやいやそんなことはあるまいと思う人もいるでしょう。
しかし考えて見て下さい。
本屋に行くとなぜかトイレに行きたくなる。
この現象については多くの人が本当に信じているかは別に、なんとなく認めているんではないかと思います。
つまりこの逆バージョン
トイレをしたいと秋葉原に行きたくなる。
ということも認めてもいいのではないかと思うのです。
さて、ここまで私は日本におけるAUCについて語ってきましたが、これは国内の問題だけにとどまることはなさそうです。
世界でいうと国土が狭い方である日本にすらUnko Cityがあるわけですから、世界には無数のUCがあることは間違いありません。
UCの発生条件は地理的環境かもしれませんし、気候的条件が組み合わさった物かもしれません。
もしくは人類に対する未確認の生命体のメッセージかもしれません。
個人的にはUCはミステリーサークルのような何者かの人類に対する警鐘の一種である可能性が高いのではとも考えています。
つまり人類が今こそUCの問題に真剣に取り組むことが何よりも求められているわけです。
今後一層の研究が進むことを期待して本文章を終えます。
(私は朝から一体何を書いているんだろうか)