私は最近、トーマス・マンの「魔の山」を読み終えました。
いつか読まねばと思っていたんですが、ようやく読了することができました。
「魔の山」は基本的に山の上の療養所で物事が推移し、場面が動きません。
なので感想は賛否両論で、読む前からつまらないとか否定的な意見を聞くこともあったのですが、個人的にはめちゃくちゃ楽しめました。
対話系物語
「魔の山」の主人公はハンスくんという青年ですが、先輩兼指南役みたいな存在が二人います。
西洋の啓蒙主義を信奉してるゼテムブリーニと虚無主義者のナフタです。
そしてハンスくんを前に、この二人が思想や宗教観について論戦を戦わせるのが、これがまた面白いのです。
ハンスくんをどちらの考えに引き込むかという、あらゆる言葉をふんだんに使った知的なゲームは、読んでいて、自分の脳も揺さぶられている感じがします。
自分が面白いと思う本の傾向として、この対話や白熱した議論がある本が多いことに気付きました。
「カラマーゾフの兄弟」も思想的対話場面が非常に多いですし・・・
三島由紀夫の「美しい星」の重一郎と羽黒助教授たちとの論戦も、ものすごい知的で広がりがあり、わくわくします。
比較により見えるもの
これらの物語の魅力の核心部分は、対話・議論により、それぞれの考えが比較出来て、そこから色々な事が浮かび上がることだと思います。
ドイツの哲学者ヘーゲルは、相反する二つの考え方をぶつけて、出てきたものを辿っていけば、最終的にゴールとしての「自由」へ到達する(私による解釈です)ということを、言っていました。
これらの物語も議論により、確実に何か新しいものを生み出しているように感じます。
自分は一人の人間が、引きこもって頭のおかしくなるまで研究して出てきたもの。
いわゆる「めちゃくちゃ煮詰まった思想」
みたいのも大好きで、そちらの方も何かに辿り着く可能性はあると思うのですが、やっぱり独りよがりになるのは否めません。
こういう議論・対話系物語は二人以上の考えがぶつかることにより、一人では考えれなかった視野を与えてくれます。
さらに比較したり、いいところだけを取ったりも出来るので、議論・対話はやっぱり「何か」に辿り着く近道ではないかなあと思います。
そう考えると、小説も作者という自分とは違う思考方法を持った人間の脳が作っています。
そして我々はその物語を見させて頂いてるわけで、これも一つの対話とも言えます。
自分は将来、何か変なことばっかり言ってるおじいちゃんになるのかもしれませんし(今のところこちらが濃厚)
ものすごい話を聞くのが上手で、大人な会話が出来る紳士になるのかもしれません。(相当な修行が必要だ)
どちらにしても「何か」を探すことだけはやめずに、対話したり議論したり、たまには独りよがりを楽しんだりして、生きていこうと思いました♪
(いつかどこかで上にあげた作品も考察していきたいなあ)