今年の6月、私の家のクーラーが壊れた。
リモコンの電源ボタンを入れると、ウィーンといい少し動くのだが、すぐに本体のランプがウルトラマンのカラータイマークオリティで点滅し始め、そしてその命はすうんと穏やかに尽きていく・・・
さてエアコンの修理代をキャンセルしたい私は、ここで都合よく子供の頃のノスタルジーを引っ張り出すことにした。
あの頃は、扇風機の風で充分気持ちよかったではないか。今一度あの時代に立ち返ろう。
その1時間後。
「無理、寝れない、死ぬ」
そんなわけで早々に扇風機政権に辞意を提出し、私はエアコンが修理されるまで、ひたすら外の涼しい場所で過ごす、いわゆる商業施設避暑ツアーを展開する運びとなった。
これは商業施設内のスタバ、タリーズ、マックなどをはしごでひたすら時間を潰していくというもので、読書やゲームがかなり捗る、ある意味、理想な夏休みライフかもしれない、かなり快適なツアーだ。
とはいえそんなに同じ場所にいてもハンバーガーばっか食べてても飽きるので、私はこの機会に都内のラーメン巡りも敢行した。
熱いのが嫌なのになぜか夏食べたくなるラーメン。これはかなり不思議な人間の性質で、私は汗だくになりながら家系や二郎系に並んだ←本末転倒
さてそんなわけで東京でラーメン食べたり、カフェ行ったりして思ったのが
「ちょっと東京、虫多すぎない?」
ということである。
カフェに入ってもほぼ100パーセントの確率で、席の間をハエが周回し、訳も分からぬ場所からそれよりも小さい虫がふっと出てくること数多。
道を歩いてても、もはや何かのモザイクとすら思える虫の集団が移動しているし、排水溝からはなんかどろどろした物が動いていた←怖すぎてすぐ視線を外した模様
よくよく考えると、今年の夏はかつてないほど熱く、そして天気も何だか奇妙だった。
雨がどばっと降ったり、晴れているのにどこか歪んだような蒸した感じだったり・・・
そんなことに思いを馳せているうちに私の中で浮き上がる、あのメガテンのキャッチフレーズ。
そう「東京が死んで、僕が生まれた」的に、私は東京はある種の臨界点を迎えているのではと不安になってしまったのだ。人間の所業である地球温暖化は深刻だ。
先日など、喫茶店で私が顔の前でハエを追い払ったら、横に並んでいる人達がドミノのようにハエを手で追い払うというナチュラルなフラッシュモブが発動してしまう始末。
さて、そもそもとしてだが私は虫が苦手である。
部屋にゴキブリやクモがいた場合、その部屋で睡眠を取ることは不可能だし、ハエが腕に止まっただけで、かなりの理性を失い腕をぶん回す。
ゆえに今、都心で虫に遭遇しまくった私は「虫過敏感覚状態」であり、もはや生きるハエレーダーと化している。
具体的に言うと、私はカフェでどの席に虫がいるかを空気の感覚で大抵把握出来るし、空中を集落の呪術師の長ばりに目を細め眺めることで、その歪みからハエ以下の小さな虫の息吹も感じ取れるようになった。
ゆえにか行くところ行くところで、虫ばかりが目についてしまし、現在若干ノイローゼ気味ですらある。
さて話は変わるが、今年の夏は虫と同じ位、変な人も増えた。
手をまるでAIが動かしているかのように幾何学的に動かしながら、「破滅、破裂」と呟いているおばあさんや(都内早朝某駅ホームにて)
あちーと言いながら、つり革に両手をかけ、全ての肉体をトランポリンのように預け、電車内のおきあがりこぼしと化しているサラリーマン(都内正午私鉄にて)
立ち食いそば屋の中央で、食券も買わず、ただただ仁王立ちしているおじいさん(都心夕方立ち食いそば屋にて)
などなど、今年の夏は実に変人大豊作、実りの年である。
さてこと変人の場合、虫とは異なり、私にはセンサーは無い。しかし私の中で今度は別種の欲求が働く。
そう、その変人さんの顔をどうしてもしっかり見たくなるのだ。
自分でも性格が悪いことは百も承知なのだが
「一体こういう行動を取る人は、どういう眉の形をしているんだろう」
とか
「鼻や口の形状はどのタイプなのだろうか」
ということが無性に気になってしまうのである。
さて、そんな中、つい先日のことである。
私はその日もお気に入りの商業施設のカフェでしっかりと空中を凝視しハエの存在を感じ、怯えながらも優雅に読書をしていた←人間の感情は複雑怪奇
その時読んでいた本が読み終わったので、私はエスカレーターに乗り、その施設の7階にある本屋へ向かう。
するとなんということでしょう。
私の二つ前の段のエスカレーターに、20代くらいのカップルがいちゃいちゃしつつ横並びで、金髪の男の方がしっかり通り抜けの方を塞いでいるではありませんか(しっかりとその後ろにいるサラリーマンと主婦らしき方は困っている模様)
興味深いのは、そのカップルのいちゃいちゃの仕方で、お互いのふとももや肩、顔などをつつき合い、奇声を上げているのだ。実に普通にキモい。
さて困惑及びげんなりしている周りとは違い、私のテンションは一転した爆上がりである。
「どうにかそのご尊顔を拝したい」
そんな思いを抱えたままエスカレーターは、淡々とまるで何者かの意志のように、何の淀みもなく人々を高みへ押し上げていく←無駄に詩的勘弁
そんな中、5階でカップルに動きアリ。彼らは奇声をあげつつエスカレーターを下り、5階の家具売り場へ。
もちろん私は5階に用は無いけども、ナチュラルになめらかにカップルの顔が見れる位置まで回り込む。
そこで私はかつてない衝撃を受ける。
ハエだったのである。
金色の髪の下の頭はグレーと茶色が混ざった色で、巨大な二つの目に、触覚のような鼻、毛むくじゃらな口。完全にハエである。
カップルの女性の方は人間の顔であることに安堵しつつ、あまりの恐怖に気が動転した私は、トイレに入り小便器に立ち、しかし何もせずにそのままトイレから出てきた。そう気が動転していたのである。
果たしてあれは私の見間違えだったのだろうか・・・
いやあれは確実にハエだった。
ここで私はある事実に気付き驚愕する。
幾何学的破滅破裂おばさん。トランポリンこぼしリーマン。仁王そば立ちおじさん。
彼らの顔もハエだったのではないだろうか。
私は目を閉じ、今や遠い過去の事と思える彼らの記憶を思い出す。
確かに彼らは自身の行動に負けないほどの歪みを表出したご尊顔であったことは記憶にある。しかしそんなに目は大きかっただろうか。顔の中央に触覚みたいなものはあっただろうか。
あったかもしれない・・・
いや・・・
あった気がする・・・
ていうかあった。ハエだった。
私はここである真理に気付く。
そう人間は歪んだ行動を繰り返していると、その思いや執着に引きずられ、顔がハエになっていくのである。
そう思うと、虫過敏感覚であり、感知レーダーを持っいている私が、なぜ彼らのご尊顔を拝したかったのかが分かってくる。
そう、私は知らず知らずに虫の顔を探していたのである。
ようやく心が落ち着いた私は、今度こそ本当にトイレへ向かう。
そうか人の精神や所業は異様な熱さを生み出し、都市に大量の虫を生み出し、あげくの果てに自身の顔を虫に変えてしまったのか・・・
なんと人類は愚かなのだろう。せめて私だけはその風潮に抗い、徳を積み、研鑽し生きていかなくてはならない。
そう思い、私はトイレの鏡を見る。
そこにはしっかりと凛としたハエの顔が映っていた。
我虫同也故虫忌即我忌事也。
(おしまい)