油そばを考えた人間は天才である!!
私は常々、麺関係の事象に思いを馳せる度に、そう思いここ数年過ごして来た。
先日、町田で油そばを食べたのだが、W盛りで油を4周、ラー油を4周かけ、一口目を口に運んだ時に、がちで失神するかと思う位、美味しかったのである←最近ラーメンを食べてなかったのもある模様
同時に私はつけ麺もラブで推しなのだが、アイデアで言うと革新性は低いように思う。
つけ麺は
美里「マジ客来ないし、暇なんですけどお」
武「しゃあない、まかないアレンジして遊ぶべ」
美里「アレンジとかまじウケる」
武「そしたらさ中華麺もさ、ざるそばみたいにしてみるのどうよ」
美里「いいじゃん、それマジで美味い奴だよ。マジ武天才」
というようなどこぞやの武や美里の楽屋ノリ、文化祭ノリで出来ただろうことは、想像に難くない。
しかし油そばは別である。
現在最も古い麺類の遺物は、およそ4000年前のものであり、中国で発見され、麺は小麦粉ではなくて粟で作られていたものらしい。
そして現在は2024年。この4000年の最終盤に、まさかこんな革新的な麺料理が出てくるとは誰が予想しえたであろうか。
どんぶりの底に油とスープを凝縮させ、それを麺と和えて食す。
これは浸すスープが沢山あるつけ麺や、完全に焼いて水分を蒸発させる焼きそばという分かりやすいアイデアでなく、非常に中間的であり、絶妙なバランス感覚の上に築かれた、細川政権もびっくりのガラス細工のような繊細なアイデアである。
もし私が織田信長なら、油そばを出して来た料理人に対し、加賀百万石を与え、前田家は改易してしまうまである←私は前田家に何の恨みもありません
さてここらでもうそろそろ、決めるべき時期に来ている。
何をかって?
それは麺類カーストをである!
そろそろ我々は麺類4000年の歴史に鑑み、金子みすゞ的な「みんな違ってみんないい」的な麺類に対する融和的視線は捨てるべきだと思うのだ。
ついでに以下の文章は、書き手の歪んでねじれた主観が具現化したものであり、およそ倫理性・公平性という観点など無いものであることを、ここに明記しておく。
さてまずは圧倒的なトップカースト、バラモンでありグリフィンドールなのは、チーム西洋のパスタである。
まさかの油そばタイトルの記事なのに、パスタが1位!
これこそ忖度の無い、健全な民主主義的麺社会である。
なぜパスタが1位なのか・・・
皆さんは五右衛門の「海老とモッツァレラチーズのカルボナーラチリトマトソース」のパスタを食べたことがあるだろうか。
私は今年に入り、初めて上記のパスタを食べたのだが、一口目を口に入れた瞬間、その凝縮された旨味の圧倒的祝福感に絶句・痙攣し、白目を剥き、何かの悟りに達したのである。
それが第一位の理由である。それ以上でも以下でもない。
今のところ油そばは、その次点という立ち位置かな、補欠グリフィンドール。
さて一方で圧倒的最下位もまた決まっているのが、この世の厳しい理。
そうそれは「うどん」である。
私は何度かこのサイトで書いているのだが、白くて図太くて、名前が「う」・「ど」・「ん」。
実に、実にふてぶてしいどっしり感、ズドン感!
こんなやつに繊細で気遣いを主とする、現代社会の人間付き合いが出来るとは到底思えない。
恐らくうどんの奴は、一緒に美術館行っても10分位で
「もう全部見たから飯いきましょうぜ」
とか言い出すに決まっているのだ。
それでもまだ焼うどんとかは「俺もヤキが回っちまったかな」的な、哀愁があるから許せる。
しかし「味噌煮込みうどん」「鍋焼きうどん」に関しては、もはや何が何だか分からないし、その様々なコスプレ模様を考えた時、足りないのは潔さである。
ライバルである日本そばは、「かけ」「もり」「ざる」という基本の三類型のみで、独自の地位を築いている。
むしろ地方や観光地の選挙区はそばがうどんに対して圧倒的な優位で戦いを進めていることを、うどん党の幹事長、岸麺(きしめん)は重く受け止めるべきであろう。
うどんが与党の地位に行き、グリフィンドールに通い、バラモン総裁として全麺選挙区を網羅するのには、恐らく抜本的解党的出直しが必要なのだ。
そう私は思う次第である。