「白い果実」はアメリカの小説家、ジェフリー・フォードさんの長編小説です。
美しく幻想的な世界観でありながら、物語の展開は王道。主人公の境遇がめまぐるしく変転し、ストーリーの動きも活発かつ、わくわくの連続。すなわちエンタメ性が高い一作!!
本作はジャンルでいうと、幻想文学に属するのだと思いますが、その真骨頂とも言える、描写や文体がとかく美しく、幻惑的で、もうそれ自体が圧倒的な魅力を放っています。
長い従事の果てに青く変化してしまう鉱夫、流刑地にいる不思議な猿・サイレンシオ、顔からあらゆる事を判断出来る、ある種の科学と魔法のキメラのような、観相官という職業と奇妙な器具、打つと耽美的な体感に溺れる事が出来る美薬などなど。
もはやその世界観と構成物だけでも、官能的かつ幻想的な万華鏡! もうこの要素に触れるだけでも手に取るべき作品です。
物語も幻想的描写も最高。なのに本作は更にその上で、劇中に様々な象徴が散りばめられていて、そこから読み解ける作者さんの作品に込めた思いも非常に骨太なのです。ゆえにもうこれは読むしかない、今すぐ書店にゴー!
以下、あらすじの後から、本作の本質的な部分について書評していきますので、ネタバレが嫌な人はあらしまでにして下さい♪
▼あらすじ
独裁者ビロウの脳内の具現化ともいえる<理想形態都市>。
そのビロウからの命令を受け、人間の顔や肉体から、あらゆることを判断する観相官のクレイは、食べたら不老不死になるという噂もある、盗まれた白い果実の犯人を捜すために、属領であるアマソナビアに赴く。
その鉱山の町で、彼は美しいアーラという女性を助手に観相官としての調査を始めるのだが、様々な事件に直面し、彼の人生、そして物語は想定外の方向へと加速していく。
本作の主人公のクレイが従事する観相官という仕事。この設定がまず非常に面白い。
これは顔だけでなく、体型や体の様々な部分から、その人間の犯罪的性向、隠している事が理解出来るというもので、ある種、幾何学に通ずる、非常に理系的であり、数値や比率を重んじる科学的なアプローチとも取れる仕様になっています。
ただしクレイの言動、その他の描写から見ても、明らかにルッキズム的な毒素が注入されており、美しい事こそが善という、非常に軽薄な思想も明確に隠されています。
その意味で、本作の事実上のラスボスとも言えるビロウが信奉する独善美と、過剰な設計主義の哲学は、観相官という職業と非常に親和性が高いです。(観相官もビロウが作ったのだから当然だけど)
本作でクレイが元々暮らしていた理想形態都市は、ビロウが一から作り出した、彼の精神・脳内の具現化であり、それを支えるのが彼の美意識と欲望です。
この「全ての制度は設計しうる」とでも言うような描写から感じるのは、ヨーロッパ的設計主義です。
ヨーロッパの場合、その目的は人権やら理想的な福祉の実現の為というのが本質だと思いますが、ビロウのそれは、彼自身が美しく感じるか、気持ちいいかという、非常に独善的なものです。
古今東西の独裁者の研究では、その人の人格や目的、権力の奪取手段についてが主眼に置かれますが、本作のビロウは、歪んだ美意識による設計主義という主眼から深掘りされていて、もしかしたら独裁者の精神を分解していったら、最終的には彼らが抱える歪んだ美意識に辿り着くのかな、そんな事を思いました。
劇中において、ビロウにしても、クレイにしても(観相官として)、美の嗜好の徹底からくる、個の物差しにより、他者の命を奪い、他者の人生を台無しにしています。
多種多様で雑多な価値観を、一つの価値観で切り捨てる事のおぞましさ・悲惨さは、現代や近代の独裁政権が生んだ悲劇を彷彿とさせます。
本作の後半でビロウは白い果実を食べ、それが彼の精神と身体に影響を与え、理想形態都市の地下に水晶宮が出現し、以降、ビロウの精神は均衡を失い、どんどん都市の主要部を自身の精神が爆発させ、破壊していきます。
私がこのシーンから感じたのは、ドストエフスキーの「地下室の手記」という作品の、水晶宮の議論です。
そもそも水晶宮というのは1851年にロンドンで開催された初の万博で、ヴィクトリア朝下のイギリスの、工業力を示すために当時の最新技術であるガラスと鉄で作られた巨大建造物です。
これはドストエフスキーに衝撃を与え、「人類の理想の最終形態や成就」とでも言うような感覚に捉われたらしく、それが彼の作品内にも登場します。
以下、「地下室の手記」においての水晶宮の議論を個人的に整理します。
2×2=4という数値の延長線で作り上げた水晶宮(数値の蓄積的な資本主義、計算式的な設計主義的な理想)に警鐘を鳴らし、気まぐれや逸脱をも包み込めるような真の水晶宮の必要性を説いている、私はそのように作品内の主張を解釈しています。
その意味で、本作の中で、ビロウが白い果実を食べて出来た水晶宮こそが、数値の延長線上・設計主義でない、真の水晶宮であり、爆破されていく理想形態都市こそが、設計主義による偽の水晶宮だと捉える事も可能なように思います。
さて、そうなると、それを出現させるに至った白い果実とは、一体何なのかという事が重要になってきます。
辺境の町の鉱山で発掘され、同時に発掘された猿のような旅人が食し、独裁者の精神を破壊した果実・・・
私はこれらの描写から、白い果実の中に、人工美ではなく原初の生物美の様なものを想像し、かつ鉱山の奥深くに眠る事から、地層の歴史の奥、すなわち人類の歴史に眠る精神性の象徴を見ました。
つまり白い果実とは、歴史によって右往左往する形式美でなく、原初から存在する純粋美(魂、形而上学的)であり、未知で分からないもので、人類が探求する心を安らかに導く人文知の結晶なのではないかと思うのです。
そうすると、ビロウが白い果実に精神が引き裂かれたのは道理です。
人民の探求心や好奇心というのは、設計主義と既知にあぐらをかく支配者側からすると邪魔でしかなく、また形式的な美に囚われない好奇心は、ビロウにも眠っていて、その欺瞞を突き付けられた精神が耐え切れず崩壊してしまったのではないか、私はその様に解釈しました。
本作の序盤で、アマソナビアで白い果実盗みの犯人として告発したアーラの顔から、犯罪の相を削ぎ落す為に、クレイが整形で彼女の顔をめちゃくちゃにしてしまうシーンがあります。
このシーンは本作のラストに提示される緑のヴェールを読み解く上で非常に重要です。
まず第一に、私は旅人との子を宿し生んだアーラに、大地の象徴を見ました。
その彼女の顔を整形でめちゃくちゃにしてしまう事を、その筋で置き換えるなら、独善的な建物の開発の乱発で、大地や山など自然をめちゃくちゃにしてしまう行為がそれにあたるのではと思います。
そしてめちゃくちゃにされたアーラの顔はおぞましく、その顔を見た人間は死に至るという事実。
これも人類が破壊した環境が、過剰な雨や火事を通し、人類に牙を剥く・・・そのように置き換えられると思うのです。
そうなるとラストにクレイがアーラから残された、彼女の顔が癒えていく時分まで被っていた緑のヴェールは、過度な設計主義、資本主義的な価値観を癒す、大地に根差した価値観の象徴そのもののように思います。
そこから更に導き出すなら、クレイたちが目指し、実際に辿り着き、これから発展させていかなくてはならない理想の場所「ウィナウ」は、まさに緑のヴェールの価値観に気付かなくてはいけない「私たちの今」そのものなのだと思いました。
本作は私の小説の常識をアップデートし、まだまだ知らない面白い本があるのだという事を再認識させてくれました。
そしてなんと本作は三部作の一作目という事で、まだあと二作控えているわけです。
そんなわけなので、まだまだ私の幻想に彩られた冒険体験は続きます。まじで読むのが楽しみです♪

