「怒りの葡萄」はアメリカ文学の巨人と呼ばれる小説家、ジョン・スタインベックさんの代表作で、ピューリッツァー賞も受賞し、現在も世界で読まれ続けている1930年代のアメリカ文学を代表する傑作です。
数年前に私はこれから読む世界文学リストを作って、一冊ずつこつこつ読んでいこうという目標を立てたのですが、案の定、飽き性な私は色々なジャンルの作品に脱線。
一応数年かけてそのリストのほとんどは読んだのですが、その中でずっと読まずに残っていたのが本作「怒りの葡萄」でした。
元々私は学生時代に「二十日鼠と人間」というスタインベックさんの短編を読んでいたのですが、登場人物のざらりとした個性と、カラッとしつつも逃げる事の出来ない、突き付けてくるような物語の哀しみにやられ、すごいと思いつつも、長編を読むのは覚悟がいるなと思い、なんとなく敬遠してしまっていたというのが、ここまで読んでこなかった要因です。
しかし読んでみると、その圧倒的な描写。そして呪いと祝福が同居している啓示の様なシーンを浴びせられ、見事に脱帽。
なんでもっと早く読まなかったのかと、毎度このサイトで繰り返している後悔の念を、過去一に強く噛みしめる羽目になりました。
以下、あらすじです。
▼あらすじ
オクラホマ州の農家の息子である、主人公のトム・ジョードは、激情により殺人を犯した事から、4年間の懲役刑を受けたのだが、仮釈放で実家に戻ってきた。
しかし彼の家族の農場は砂嵐のせいで耕作不能になったあげく、大銀行に土地を奪われ、仕事が沢山あると耳にしたカリフォルニア州に、一族全員で向かおうとしている所だった。
トムは家族や、なじみの説教師ジム・ケイシーと共に、乳と蜜が流れるとされる新天地、カリフォルニアを目指す。
本作の物語は、聖書の出エジプト記をモチーフとし、巨大資本の横暴により、昔ながらの大地と繋がる人々の暮らしが崩壊していく1930年代のアメリカを、怜悧かつ容赦のない表現で描いた、社会派の小説です。
しかし人物が魅力的で、物語のダイナミズムもあるので、過酷で辛い現実を突き付けてはきますが、エンタメとしての面白さもしっかり担保されている小説でもある。そう個人的に感じました。
本書の構成として、一家の物語と第三者の社会や地域の論評(恐らくは作者自身の思い)が交互に展開します。
物語部分が面白いのはもちろんとして、論評の部分の表現が非常に重厚で、こちらの心を突き刺してくる為、まるで自分自身が、当時のアメリカの社会に深く深く沈み込んでいくような感覚を、実感する事が出来るのです。
全編を通し、大地と生物の重厚な表現と、それを無残に踏みにじるものへの容赦のない表現は健在で、それが他の本には無い、本書の底知れないエネルギーに結実しています。
私は知識として1929年から始まる大恐慌の事を知っている気でいたのですが、当時のアメリカがそれと同時並行で、大資本の台頭や農業の機械化のひずみにさらされていた事はそんなに意識してなく、本作を読んで、その過酷さを改めて再認識することが出来ました。
一方で、前にこのサイトでも書きましたが、人々の暮らしがないがしろにされ、一部の特権階級が潤うという構図は、現代社会でも健在で(もしかしたらその差は更に加速しているかも)、現代の怒りの葡萄も熟しており、その破裂の時を待っている、そんな事を思います。
私は本を読む時に、「いかに自分の心に強く刻み込まれるシーンがあったか」というのを考えるタイプなのですが、その意味で本作は、幾つもそのようなシーンがありました。
詳しくは読んで欲しいので語りませんが、その悲惨であまりに哀しい呪いの場面、そしてあまりに哀れで、ゆえに崇高な祝福の場面に出会えた事は幸せな事で、これこそが読書の醍醐味だと、改めて実感しました。
とにもかくにもスタインベックさんの他の作品をマストで読み進めなくてはいけない。
本作を読んで私はその決意を固めました。とりあえず次は「エデンの東」を読みます♪

