<雑記>いよいよ、怒りの葡萄が爆発しようとしている

雑記

いつもふざけた事ばかり書いているので、たまには真面目な事を書こうと思います。

先日、ジョン・スタインベックさんの「怒りの葡萄」を読み終えた。

衝撃だった。

大地から切り離され、自身の利益のみに汲々とし、その恩恵に仇をなした人間の業、そしてそれに追い立てられる貧しい善良な人々の哀しみと力強さの表現は圧巻。

なんでもっと早く読まなかったんだ。そんな後悔がふつふつ出てくるほど凄い小説であり、これは初めてカラマーゾフの兄弟を読んだ時の衝撃以来のものかもしれない。

そんなわけで私は「怒りの葡萄」に心を揺さぶられたわけだが、本作は私に様々な事を考えさせるきっかけにもなった。いや元々感じていたことを形にするきっかけを与えてくれたと言った方が正しいかもしれない。

私はかつてこのサイトで、今後の日本は室町時代みたいになっていくのではないか。そう書いたことがある。

室町時代というのは、政権の主体である室町幕府が、地方の武士たちの力を借りた連合体であり、足利尊氏はカリスマだったけど、そもそも中央政府の力が弱く、内乱続きで、何度も勢力が引っ繰り返り、秩序が混乱し、狂乱とカオスの中で、力ある武士や民が跋扈する時代だった。

さて、翻って、現代政治である。

いよいよ衆参共に与野党が過半数割れ。

その後の混乱が後を引き、なんと物価高対策が全く行われないまま、政治空白が下手をすると100日を超える可能性が出てきた模様。

昨年の企業の倒産件数は最多で、未来を担うはずの小中高生の自殺者数も過去最多。

長いデフレに慣れてきた私たちは、急激な物価の値上がりに困惑し、生活を切り詰め、「本当にこれから先も暮らしていけるのか」「自分はどこかで野垂れ死ぬのでは」という恐怖を抱え、日々を生きている。

しかし日本人は大人しい性質だ。

二度の消費増税にも声を上げず、国民負担率が徐々に上がり続けても、声をあげずにひたすら耐え忍んできた。

しかしそんな日本人の中にも、いよいよ怒りの葡萄が実をつけ、ちゃくちゃくと育ちつつあるのを、私は実感している。

このような状況でも何の手も打たずに民に寄り添おうとしない政府。

日本人の性質からいって、最初に来るのはまず「失望」だ。

もう政治に期待してもしょうがない。自分で頑張るしかない。

しかし現在、自己責任論は見直され、政治の役割と責任を問う言説の方が世界的に趨勢を極めている。

しかしとはいっても、政治はぐだぐだで与党は自分の利益団体にしか目が向いていない。

そうなると失望は、ある時、徐々に、人によっては突然「怒り」に変わる。

それが端的に現れているのが、参政党の躍進だ。

今回の参議院選挙で参政党は約700万票の比例票を獲得した。前回の衆院選では約190万票だから、約500万票増えた計算になる。

しかし私はこの500万は参政党の政策に惹かれたという有権者の割合はそれほど多くなく、主な理由は既成政党に対する「失望」と「怒り」だと思う。

いくら形だけ聞こえの良い事を言っても、物価高に苦しむ国民に何もせず、内輪の論理だけに終始し、全く国民に寄り添わない。

その「失望」と「怒り」こそが参政党を支えているエネルギーだと思う。

そうなるともはや、通常の批判。例えば参政党の政策を全部やったら国家予算がいくらあっても足りない、とか主張に問題があるという訴えは全く利かなくなる。

なぜなら国民は政策を支持しているのではなく、「失望」と「怒り」を燃やしているだけだからだ。

「怒り」の炎は矛盾を燃やし、むしろそれをエネルギーに更に加速していく。

ここで既成政党が本気で、国民に寄り添い、生活に対する不安を取り除く事に全力で取り組まないと、怒りの葡萄は間違いなく爆発するだろう。

その意味で日本は今、重大な岐路に立っている。そんなことを思います。

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