帰り道が苦手である・・・
私は、旅行や外出が好きで、また休みがあればどうしてもどこかへ出かけなければ気が済まない性質です。
私は神奈川県に住んでいますが、結構距離のある大宮や宇都宮にも電車で行ったりします。
その際、行きの電車はその場所へ行く冒険心や高揚感からか、本を読んだりYouTubeを見たりしながら、とても有意義に過ごすことが出来るのですが、問題はそうKAERI・MITIにあります。←こうやって書くと現代アートの人みたいだ
行きはあんなに楽しかった行程が、帰りになると地獄のような長さに感じ、家に着いた時には帰り道によって肉体と精神をすり減らされ、ズタボロになっています。
そんな時、私の心はいつも「どこでもドア」のことを考えます。
私はのび太よりも上手くかつ有意義にこのドアを使える自信があるのです。
例えば、のび太のヤツがしずかちゃんとどこかに出かけるとしましょう。
するとのび太は、すぐに「どこでもドア」を使い現地に直行するに決まっています。
しかしもし、しずかちゃんの隣に立っているのが私だったなら、大人な優しい微笑を携えて
「しずかちゃん、もしよかったらなんだけど、行きは電車で風景を見ながら旅をしないか?都会の景色から徐々に田園が広がり、そして広大な森林へと変化する、車窓というグラデーションシアターを楽しむのも悪くないと思うんだけど・・・」
と言い旅の情緒の世界へ彼女をエスコートします。
のび太のようなドラ氏の道具を、功利的で合理主義にしか使えないアンポンタンと違い、私はワビサビや情緒を重視した道具に使われない利用法が出来ると思うのです。
ともすれば出木杉くんに心が揺れがちな彼女の心も、私が道具を使えば鷲掴みに出来ることは間違いないでしょう←こいつは何を言っているんだろうか
とにもかくにも帰り道がとてもつらい私は、いつも帰りの電車の路線図を前にぼーっと立って「思いもよらない帰り道」を考えているのです。
ベタな方法だと、経由する駅を変えたり、違う路線を使ったりするというのがあります。
また心理的な方法だと、適度に電車を降りてカフェに寄ることで
「これは帰り道ではなくて、カフェ巡りをしているだけなんだ」
と言い聞かせる方法もあります。
とはいえどれも効果は薄く、いまだに思いもよらない帰り道は見つかっていません。
もし駅前のロータリーを反時計回りにグルグル徘徊して、時計台のところに佇みアンニュイな表情を浮かべながら
「また無駄なことをしてしまった・・・」
と呟いたら自宅に続く地下の洞窟が現れるとか。
もしくはブックオフのカード売り場に行ったら、10分の1くらいの確立で自宅の絵が書かれた「自宅カード」が売っていて、それを買い地面に叩きつけることで自宅にワープ出来る、みたいなことがあった場合。
そうなると帰り道はいよいよ「帰り」ではなくなり、それは「行き」でもあり「活き」の弾力性や「粋」でもある「粋・活き行き道」になることに違いないのです。(自分で書いていてさっぱりである)
しかし今のところは帰り道は粋ではなく、やはり圧倒的な帰宅感を携えて私を嘲笑っています。
いつか科学や人類の叡知が、帰り道の憂鬱を克服してくれるその日まで、私はゴーヤにすり潰したコーヒー豆を塗り込んだような顔で電車に乗り続けるのでしょう←普通に苦い顔と言えよ