私は色々な本を、ジャンルを問わないで気ままに読むタイプなんですが、その中で苦手なジャンルがあります。
いわゆる自己啓発系というやつです。
なんで苦手なのかなあ?と色々考えてみたので、ちょっと書いてみようと思いました。
もしよかったら気楽に見てやってください♪
道具系ジャンル
自己啓発系を買う人の多くと、それを書いた人は
「人生をすぐに良くする方法」
についてを教えたり、教えてもらおうとしています。
それ自体は悪いことだとは思いません。
しかし、書店に行き
「○○を良くする10の方法」
「○○をやめたら、変わる人生」
みたいな本ばっかり並んでいると、ここは本屋じゃなくて薬局なのかしら?
となんだか少しやるせなくなります。
インターネットでも昔は、趣味全開でよくわからないことを扱ってるサイトが多かった印象があります。
しかし今は、何かの方法や、やり方のサイト、また何か調べていても、テンプレートな世間標準の意見をまとめただけのものが多くて、まるで参考書だけ詰まった本棚を眺めさせられているみたいです。
私は最近の傾向として、即物的なものしか意味がないという風潮。
言い換えると自分に役に立つ道具しか欲しないという感じを世の中から感じます。
土を掘る意味
人の意見を参考にしたり、そこから方法を学びとることは全然悪いことではありません。
しかしそれだけだと、行き詰る気がしますし、何だか退屈です。
自己啓発の本が提唱してる方法は、その人自身が辿り着いた方法です。
人間は一人一人違うので、それがその人に役立つかどうかというのは究極的には分かりません。
一方で文学作品は、すぐに○○が良くなる、○○の方法がわかるという効果はありません。
心になぜか刻まれる場面が、しばらく経ってから、自分で理論として納得出来たり、ふとしたときに、あの本はこういうことを言ってたのかもなあと思うことも多いです。
自己啓発本は正解が書かれた解答集を読むイメージですが、文学作品を読む場合、作者から与えられたモノだけではなくて、自分が読み取ったり、読書を通じ、自分の心を掘ったりすることがセットになってる感じがします。
自分にとって大事なものというのは、結局自分が掘ってみないとわかりません。
そしてそういう宝物は以外と、無意味だと思えたり、なんか変だったり、すぐには役に立たなかったりする土の中に埋まってることが多くて、これを探すことは非常に楽しい作業です。
好奇心とは、この土壌をよく観察して、少しでも引っかかる物があったら掘りにいくフットワークも含めた物なのかなあと思います。
これは、道具を使ったり、解答集を眺めてるだけでは、手に入れられない物なんではないかと思います。(自己啓発本が悪いと言ってるわけではなくて、必要な時も沢山あります。そればかりだと切ないと思うということです。)
これからも思いつくままに色んな事(ときにはよくわからないようなこと)をしたり、書いたりして、自分自身やなんやらを掘り続けていこうと思いました♪