聖夜-14

 しばらくして意識を取り戻すと、相変わらずの闇がそこにあった。

 少年はすることもないので、机の上で無造作に手を動かし、リモコンを取りテレビをつけた。

 ブウンという音とともに暗い箱に光がともる。

 テレビ画面を見ずに、昆虫図鑑の表紙に視線をさまよわせていると、テレビのキャスターの興奮する声が耳に入ってきた。

「さきほどから、一般の方のSNS投稿などで話題になっている、東京都内を飛行する物体ですが、カメラが今その姿を捉えています」

 どきっとしてテレビに目を向けると、テレビのカメラが真下から、月夜の中を走行するペルシャ模様の長方形の物体を映していた。

 少年の目は一気に覚め、テレビに目が釘付けになる。

 驚きもさることながら、手を振ったとき視界の遥か上空に飛び去ったはずのソリが、なぜこんな低空飛行に甘んじているのかという疑問がむくむくと沸き起こってくる。

 カメラに捉えられるような高度ではなかったはずが、今やソリは肉眼で見える高度まで落ちてしまっていた。

 しばらく少年がテレビを凝視していると、ソリがぐらぐら左右に揺れていることに気づく。
 あきらかにソリはバランスを失っている。何か緊急事態がサンタに起こったことは明白だ。

「いま、もう一台のカメラが側面から飛行物を追いかけています」

 キャスターがそう言うと同時に、斜めの横から見上げる形でソリが映された。

 一瞬で少年は異常事態の原因を把握した。

 ソリ後部にある何かが、ぐにょぐにょと、もがいてうごめいているのだ。
 いまこの映像を見て何が起こっているのかが分かるのは、おそらく少年だけだっただろう。

 そう、さなぎの羽化が始まっているのだ。

 しかしサンタさんは、北極までは羽化しないように設定したと言っていたはずである。

 そう思ったときにふとテレビ画面の左上にある時間表示を見て気づいた。
 時刻は夜の9時を表示している。

 そして振り返り我が家の時計を眺める。

 我が家の時計は2時を指している。

 つまり、我が家の止まっている時計をもとに、羽化の時間を設定した結果が、目の前の悲劇を用意したのである。

 テレビ画面に映るサンタさんは、ロープを体ごと左右に引っ張り、さなぎの運動に抵抗しているのだが、なにせいつもの微笑が健在のため、画面の緊迫感とのバランスを欠き、映像をよりチグハグなものにすることに貢献している。

 あれ?さなぎが若干大きくなっていないだろうか・・・

 いや間違いない、というかありえない速度でさなぎは巨大化している。

 昆虫図鑑では、さなぎが成虫する前に巨大化するなんて一言も書いていなかった。

 ということは、ソリの後ろに積まれた「材料が哺乳類」という稀に見るハイブリッドな昆虫たちは、いよいよ昆虫の新しい扉を開いたのだろうか。

 僕はそんなことを考えながら、巨大化するクリーム色の物体を画面越しに眺めている。

 当然のごとく、さなぎを入れていた袋は、巨大化した体積を受け止めきれず、完全に破れさった。

 そしてテレビの画面越しからも、ぶちゅっという音が時間差で次々に大きく聞こえ、さなぎから飛び出した巨大な黒い前足が、テレビ画面に新しい彩りを添えている。

 前足の突き出しにより、ところどころが破れたさなぎの部分からは、ネバネバしたクリーム色の粘液が撒き散らされ、夜の闇の中をカーテンの様に揺らめいている。

 ここでさらなる驚きが少年を襲う。

 さなぎから出た粘液を浴びた、ソリ後方に積まれたプレゼント達が、粘液に触れる度、徐々にクリーム色のさなぎに変化していくのである。

 様々な色のリボンに包まれた大小の箱たちが、徐々にブヨブヨしたものに変わっていく様子は、今まで感じたことがない感覚を少年に喚起させた。

 そして完全にさなぎ化したプレゼント達は、オリジナルの4サナギ達と同様に、空気に触れるたびにどんどん巨大化していく。

 当然の如くソリの後方は、無数の巨大化していく、さなぎでぎゅうぎゅうになっていた。

 目視しただけでも、さなぎの数は20を超えている。

 もはやテレビから流れてるのは映像だけで、キャスターが一言も言葉を発することはなかった。

 ソリは奇跡的に山盛りのお椀みたいな形状で飛行していたものの、数秒後に破綻がくるのは、火を見るより明らかである。

 そして数秒後、ソリは急に空中で停止する。

 お椀の先端部でじっとしていたサンタがすっと立ちあがり、眼を少し閉じる。

 そして眼をぱっと開いた瞬間、サンタが満面の笑みを浮かべパチッと指を打った。

 少年はそこから先の光景を死ぬまでずっと忘れることは無かった。

 指の音の直後、右にゆっくり傾いていくソリ、そしてパラパラと落ちていく巨大な黄色いクリームの塊たち。

 それは落下と共に巨大化のスピードを増し、粘液を撒き散らし、黒い体がクリーム袋を突き破りつつ、ゆっくりと落下していった。

 20を超えたその塊から出される粘液は、クリーム色のオーロラのようであり、羽化しつつある成虫たちは、黒とクリーム色のまだらな巨星の様に煌めいている。

 落下する、さなぎ達を追ってカメラの映像も、地上に近づいてくる。

 そこはライトアップされたクリスマスツリーがいくつも並ぶ、新宿のイルミネーションエリアだ。

 そのツリーの装飾にまず、さなぎのぬめぬめした殻が、全てのクリスマスツリーにまんべんなく覆いかぶさる。

 そして直後に完全に羽化した巨大なカブトムシやクワガタ、手が幾重もある新種の昆虫達が地上に到着し、クリスマスツリーを抱き込むように群がったり、イルミネーションの光の間を飛び回っている。

 地面には、撒き散らされた粘液から誕生した、巨大な幼虫が跋扈しており、ハートのオブジェに這いあがった幼虫の群れは、ピンクの配色を白一色に塗り替えていた。

 夜の暗闇の中を、月光と粘液の虹が照らす中で、ライトアップされた昆虫たちがツリーと踊っている。

 ここに至って少年は、心残りだったイルミネーションも見ることが出来たのだ。

 少年はその時、ふとサンタに言えなかったあの言葉を思い出した。

 そしてゆっくりと口を開きながら、その言葉を呟く。

「メリークリスマス」

<完>

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