序盤に比べ、一気にスピードアップしていく「鎌倉殿の13人」。
義仲の挙兵から没落、上総広常の粛清、武田の勢力への対処、そして義経による平家討伐と、その義経の滅亡。
ものすごいスピードで、残虐な展開が目白押しでありながらも、「人間の物語」という核が保たれているので圧倒的に面白い!
頼朝の描写の疑問や、その答えになるかもしれない北条の描写など、好き勝手に色々書いてます。
以下、一応ドラマの時系列に沿って各項目について書きました。
上総広常の粛清
鎌倉時代は血と政治の季節である。
直前の平安時代はほとんど死刑は行われなかっただけに、鎌倉時代初期の殺し合いを見るとその落差に衝撃を受けます。
しかしそれでも、私が鎌倉時代を評価するのは、「政治」を取り戻したという側面が大きいです。
私は、日本史史上政治の最大の暗黒期は、平安時代だと思っています。(現代よりもさらに悪い)
特に藤原一強になってからの摂関政治や院政なんてものは、褒められたものではありません。
国家の土地から税を取る、しかし私有地が増えて税が減る・・・
これが当時の政治の問題でした。
しかし笑えるのが藤原氏が政治のトップでありながら自分の私有地を増やしているため
「国家の土地がないなあ(自分たちのせい)、さてさてどうしたものか」
という喜劇状態で政治をやっています。
これがコントならいいですが本当なので笑えません。
そして政治の中身もどんどん形骸化し、平安後期に至っては
「儀式をいかに美しくやるか」
それが政治の目的と化していました。
地方は、桓武天皇が警察機能を廃止して自力救済の天下一武道会状態なのに、京都だけが大量の物品と奢侈により退廃の限りを尽くしている。
普通ならこの状態の政府は滅びるのですが、日本は島国なので腐ったまま連綿と政治がずるずる続き、その腐った状態が生み出したのが摂関政治や院政です。
そういう意味で頼朝や鎌倉幕府は、軍事力を背景に公平な裁判を導入し、腐った朝廷の土地の権利関係を切り崩し、政治を取り戻したのだと思うのです。
しかし、関東という天下一武道会の荒くれものをまとめていくには、どうしても荒療治は必要になります。
というより一歩失敗したら、自分が殺される可能性もある。
だからこそ鎌倉時代は、尋常じゃない血が流れるのです。
その点で私は、この上総広常の粛清シーンをドラマが始まる前からとても注目していました。
今回、オリジナルとして御家人の大規模な謀反があったという風にドラマでは描かれてました。
鎌倉方の頼みで上総広常に謀反の中に居てコントロールしてもらいながら、最後は謀反の全てを上総広常に負わせて殺す・・・
これが今回の描き方でした。
梶原景時が神とサイコロに運命を託すシーンや、上総広常が最後に「小四郎」と呼びかけるシーン、またその呼びかけを耐える義時など、役者さんの神演技も相まって最高な場面が沢山ありました。
しかし思うところもあります。
歴史として見た時に上総広常の態度や言動は、佐竹攻めを主張し関東残留を頼朝に進言したことを含めて、鎌倉幕府上層部の中で、かなり問題になっていた節があります。
力がある分、かなり態度が大きかったらしく、頼朝もいずれは排除しなくてはならないと思っていのでしょう。
しかし今回の広常は、問題行動や言動に関しては少なめで、それよりはかなり愛着がある人情臭い部分がメインで描かれていたため、視聴者がかなりショックを受ける作りになっていたと思うのです。(そのショックは成功している)
そしてその反面、討つ方の頼朝の描写が弱い気がします。
心を丁寧に描写しなくてはいけないとは思いませんが、やはり討たなくては行けない理論の提示が必要だと思うのです。
「鎌倉で起きていることは何でも知っている」
という頼朝のセリフから、広常の言動を監視していた節がありますが、それでも広常粛清の理論が繋がらないのです。
とはいえ、広常粛清後に現れた頼朝の演説はとても力強く残酷で、血と権力の関係性を表していると思いました。
とても面白く試聴できた反面、少し頼朝の描写が気になるなあというのが、この話の感想だったのですが、頼朝問題については後半に詳しく書き、かつこの気になる点が逆転する可能性があることについては最後の北条の項目で語ります。
義仲、義高、武田
今回の義仲はとても素敵でした。
粗野で乱暴というファクターだけで描かれがちな義仲ですが、今回は京都朝廷のいやらしさが全開で際立っているため、義仲の素朴さや純真さが光って見えました。
そしてその息子の義高。
悲しい話ですが、義高の死は仕方のない部分があります。
なぜなら頼朝自身が、義高と同じ立場にいたからです。
平家に命を助けられた自分が今は、平家を打倒に王手をかけている。
ゆえに頼朝は許すわけにはいきません。
それと一方で甲斐源氏の武田とその息子の一条忠頼。
ここにおいては簡単な話、源氏同士の権力闘争です。
もはや源氏における最大勢力は頼朝ですが、それでも態度を改めない武田。
ここにおいて頼朝は、文字通りの陰謀を駆使し、息子の一条を処刑し、武田に牽制を加えます。
今回、ドラマでは義高のシーンと武田のシーンを上手く組み合わせてましたね。
頼朝の力の源泉は源氏の血、よって同じ源氏の血を引く武田は邪魔者。
武田の勢力と意志を削ぐために陰謀を駆使する鎌倉政権に武田が「お前たちは狂っている」というシーンも非常に象徴的で、落ち着いた狂気が支配する政治都市鎌倉をよく表していると思いました。
大姫の演技により、決断を変える頼朝、しかし間に合わず討たれてしまう義高の流れも諸行無常を感じます。
ただし、義高を討った光澄の処刑に関しては、政子の人格を守ろうとするあまり、なんで殺されたのかが不自然な作りになっていると思いました。
この物語は北条の物語なので、政子を良く描きたいのは分かりますが、ここは大姫の悲しみに激怒した政子の逆鱗が、頼朝に光澄を処刑させることになったことをもっと正面から書くか、それとも違う理由を用意するかにしないとと違和感だけが残ってしまうのではないかと思いました。
比企、畠山、三浦、梶原
今回は北条の物語というだけあって、比企の一族の欲深さがとてもよく描かれていて(役者さんが上手いのもある)いい感じです。
畠山重忠も、背骨がしっかした爽やかな武士として好感が湧きますし、陰謀が滲み出ている三浦義村も良い味を出してます。
またかつては陰険な頼朝のFBI長官みたいな描写が目立った梶原景時が、神を敬う自分の軸をしっかり持った人物として描かれているのもとても良いです。
あまり知名度のない鎌倉時代の人物をここまで個性的にかつ、歴史の印象からずれずに描くすごさを実感します。
義経
私の義経の歴史的評価はかなり低いです。
そしてこのドラマで当初描かれていた義経は、まさに私の印象通りだっため拍手喝采しました。
しかし20話まで見てみると、最終的にはやっぱり英雄として描かれていて、世間の印象に野蛮や残虐さを与えたものの、義経英雄伝説の部分は維持されたなあという印象です。
三谷さんはとてもバランス感覚に優れた方ですから、最終的に義経が好きな人にも納得できるラストに寄せたのだと思います。
私は、そもそも義経を戦争の天才とすら思っておらず、さらに再三頼朝が三種の神器と安徳天皇を守ることを第一に考えていたのに、それをおじゃんにしたことからも、無能の人だと思っていますが、それでもドラマの義経は魅力的に映りました。
個人的にこれはこれで良い義経像だなと思うのです。
女性の気持ちを考えられず、里の気持ちに寄り添えなかったことが義経の滅亡のきっかけを作り、そして最後に自分の手で里を殺してしまう描写は、とても悲しいですが、人の業を良く表していると思います。
そして後白河法皇も、自分のことしか考えていない、人生からまるで学ぶことが無い、腐った平安時代を体現する人物として描かれていてすごいです。
西田敏行さんの演技もとてつもなく、これでもかというくらい京都朝廷の腐敗を楽しめます笑
頼朝の描写
さて、物語前半の雑感では絶賛した頼朝の描写。
しかし現時点では、かなり問題があるかもなあと私は感じています。(大泉さんの演技は良いと思う)
広常粛清のシーンからなんとなく感じていましたが、義経のあたりからそれは加速しました。
ドラマでは義経を追討軍の大将を外すという描写が描かれましたが、その理由が「あいつは強すぎる、すぐ調子に乗る」というふんわりした理由でした。
この平家討伐は関東の御家人たちにとっても恩賞獲得のチャンスであり、御家人たちの意見も聞かずに、奇抜な策ばかり用いる不満などが重なったことが、個人的に思う義経が外された理由だと思いますが、少なくとも義経を外す理由をもう少し詰めないと頼朝の真意が伝わりません。
また義経の検非違使任官問題にしても、その前段階で頼朝が関東に独自の政権を建てるつもりでおり、それにより後家人たちが頼朝の推挙を受けずに朝廷から無断で任官することを頼朝は死ぬほど嫌ったのですが、その描写もまるでありませんでした。
さらに三種の神器を取り戻し、安徳天皇を助けることを頼朝は至上命令としており、だからこそ範頼に性急な攻撃はするな!と手紙で言っていたのですが、義経は性急に攻撃し、おじゃんにしています。
これに対して言及するシーンはありましたが、いまいち緊迫感に欠けました。
そして有名な腰越で義経を追い返すシーンも、景時から、次の鎌倉殿を狙っているのかもと言われた位で追い返します。
ことごとく決断の理由が軽く見えるのです。
伊予守任官問題は個人的に後白河が義経を推挙したのを、頼朝が政治的に波風を立てないために認めたのだと思っていますが、ドラマでは許すチャンスを与えるためとして描かれていて、ここからの後白河に翻弄される描写は良かったと思います。
そして奥州に落ちのびた義経を、関東に盤石な政権を建てるために生かして帰すなという頼朝の描写、ここも葛藤と決断の哀愁が感じられました。
しかし最後の泣くきながら語りかけるシーン、ここで私の違和感はマックスに到達しました。
それというのも今回のドラマの頼朝にはしっかりした背骨が見えないのです。
頼朝は女好きだし、滑稽なエピソードがあるのも事実です。
それを描くのは今まであまり無かったことだし、いいと思います。
しかし根本の政治哲学の部分に関しての描写が弱いのはどうでしょうか。
私は、頼朝という人は、政治権力原理主義者だと考えています。
自分の目的である軍事裁判政権の樹立、そのためにはいかなる手段を持っても邪魔者は排除していく。
だからこそ、自分が鎌倉殿の力を蓄えた段階で、政権にとって阻害要因になる広常は排除し、そして当初から弟という立ち位置を勘違いし、また関東政権の意義も分からず、御家人の不興を買う存在でしかない義経を大して買ってもいなかったと思うのです。
さらに義経も、清和源氏の血を引いています。
頼朝の一番の力の源泉は清和源氏の血ですから、義経は競合者としての側面はあるわけです。
だからこそ、馬鹿なふるまいの積み重ねの結果、頼朝は義経を討つことを決意。
それどころか後半は義経を利用して、地頭の設置や奥州藤原氏を滅ぼす理由作りに利用したのだと思います。
そういう意味で頼朝はすごいのと同時にとんでもなく恐ろしい存在です。
しかし今回の頼朝はというと、ものすごい筋書きで広常を粛清したと思いきや、義経を後継者にしたいと政子に話したり、良く分からない理由で義経を大将から外し、腰越で追い返すくせに、伊予守というチャンスを与え、関係が破綻し、最後義経の首が届いたら、泣く。
正直言ってこれでは感情移入がまるで出来ません。
頼朝をラディカルに描きすぎても誰もついてこないだろうから、ところどころ人情を交えてバランスを取ろうとした結果なのかなあとも思うのですが、頼朝が好きな私でさえも、最後のシーンでは「そんなに泣くなら最初から追い返すなよ!!」と思ってしまいました。
本作は、時代考証を踏まえてしっかり作っているとは思うのです。
しかし頼朝に関しては、そこでの事実が人物として繋がっていません。
有体に言えば、この頼朝には誰も付いてこないのでは?
そんなことを思います。
もし頼朝の人情を描きたいのであれば、そちらの側面を上手く取り入れ、最後泣くのが違和感がないくらいにしてほしかったです。
もしそれが無理なのであれば、ラディカルに冷徹な政治原理者の頼朝を素直に描いた方が良かったのではないでしょうか。
有史以来、ずっと京都や畿内にあった政権。
その政権を関東に新しく作った人なのですから、どう描くにしても、そこには裏打ちされた思いや理念があってほしいと思うのですが(それが残酷に見えてもいい)今回の頼朝は、それが見えないので単純にひどいやつに見えてしまうのではないかと思うのです。
ただし、これは現時点での評価で、今後変わる可能性があります。
詳しくは次の北条の項目で語ります。
北条の描写
さて本作の主役は、源頼朝ではなく北条義時です。
つまり北条一族の描写が最も重視されることになります。
そうすると上記に書いた頼朝の描写への不満も完全に見方が逆転することになります。
まず頼朝の描写の解像度が低いのは、それが「義時から見た頼朝」であるという立ち位置を脚本が取ってる可能性があります。
ドラマでは大江広元や中原親能らからなる鎌倉官邸のメンバーではある義時ですが、最側近という立ち位置ではありません、そこに頼朝との距離があることは事実です。
またドラマのここにきての急速に思えるテンポアップは、北条を徹底的に描くための予定通りの計画の可能性もあります。
序盤を丁寧にやってたのに、義仲から源平まであっという間すぎるという批判があるようですが、序盤を丁寧にやるのは、北条一族のパーソナリティを描かなくてはならないからであり、いきなりテンポアップしたのではなく、そもそも源平合戦に関しては最初からそこまで話数をかけるつもりがなかった可能性があります。
そもそもタイトルが「鎌倉殿の13人」で、これは頼朝死後の時代ですから、重点は頼朝が死んでからの、北条が政権首座に辿り着くまでに置いているのだろうと思うのです。
そう考えると、今のところ義時と政子、時政の描写に関しては人間味や葛藤が丁寧に描かれていて、文句を付けるところが無いように思います。(特に小栗旬さんの演技はとんでもなくすごいと思う)
私が、頼朝の項目で不満を述べたのは、「頼朝が鎌倉幕府の精神の体現者」であった場合の話です。
その頼朝の精神を義時が受け継ぐという構図の場合、本作の頼朝では鎌倉幕府の精神自体があいまいに見えるので、それじゃあダメだろうと思ったのです。
しかしもし「北条義時、泰時が鎌倉幕府の精神の体現者」であるとして描くなら全然話は変わってきます。
私自身は頼朝を偉大な創業者だと思ってますが、自分の意見とドラマの出来は全く関係ありません。
不完全な創業者である頼朝の鎌倉幕府に、精神の芯を入れたのが義時・泰時だったという描き方にするなら、上記の義時から見た良く分からない頼朝像でも全然良いのです。
今後の義時が、果たして修羅の道を行く覚悟を決め邁進するのか、はたまた常に自分の良心と揺れながら進むのかは分かりませんが、どちらにしても最後まで目が離せないことには変わりありません。
こんなに面白く、毎週楽しみで、書きたいことが出てくる作品があることは本当に嬉しい限りです。
今後も、まとまったタイミングでドラマの雑感を書いていきたいと思います。