<雑記>エラリイ・クイーン面白過ぎ問題

雑記

先週、私は大阪へ旅行に行っていた。

私は大阪が大好きなので、たびたび訪れているわけだが、私が大阪に行く時に決めている二つの事がある。

①とにかく好きなものを食べる(大阪は安くて量が多く美味しいものが多い)

②それ以外は一心不乱に好きな本を読む

以上である。

逆に言えば、ほとんどこれ以外はやらない。

ゆえにもはや家宝とも言える、スイッチも持って行かない。持って行くのは服と財布と文庫本のみだ。

さてそうなってくると、大事なのは、いかに面白い本を探り当てるかという事になってくる。

しかしこればかりはどうしても運の要素が強い。いくら口コミが良くても、書店で平積みされていても、本の好みは千差万別だし、その時の気分にも左右される。ゆえになかなか思い通りにはいかない。

よってトンテキの味付けが絶妙でも、ねぎ焼きの香ばしさが最高でも、本が微妙で内的世界の充実度はぼんやりしてしまうという事も、まあまああるのだ。(それはそれで思い出として残り、悪くなかったりもする)

さてそれでは今回はどうだったのかというと、大当たりであった。

そうタイトルにもある、世界に名だたるミステリー作家、エラリイ・クイーン氏のおかげである。

そもそもとして私は大阪に旅立つ前に、移動用としてクイーン氏の「九尾の猫」を買っていた。

私はこのサイトでたびたび書いているが、大学生の時に推理小説にドはまりしていたことがある。

その時読んでいたのは主に、日本作家の本だったが、手あたり次第に読み、最後らへんは、もはや「実は女だった」とか「警官が犯人」とかの結末が、なんとなく分かるようになり、読むのをやめたという経緯がある。

今にして思えば、私が推理小説に求めていたのは、叙述トリックでびっくりさせてくれることであり、本当の意味で推理小説が好きではなかったのかもしれない。

ゆえにあまり驚きがなくなってくると、残ってくるのは機械的に人が殺され、パズル的に謎解きがあり、そして登場人物はその為の人形のように思えるという殺伐とした風景であり(もちろんそんな小説ばかりではないでござる)、私は推理小説、特に○○殺人事件のようなタイトルからは遠ざかり、冒険小説やSF、世界文学の方に軸足を移し、今に至るわけなのだ。

そんな自分がなぜ今、エラリイ・クイーンを手に取ったのかというと、ざっくばらんに言って、ぶらぶら本屋さんパワーである。

私はこのデジタル時代において、ほとんどネットで本を買わない。9割型、紙の本を書店で買う人間である。

そして別に本を買う用事がなくても、ぶらぶら本屋を眺めるのが好きなのだ。

このぶらぶら眺めるという行為により、私は数々の新しい作家との出会いを果たして来た、そして今回のクイーン氏との出会いもこのぶらぶらの生んだ産物である。

まず目を引いたのが「九尾の猫」というタイトルだ。殺人が絡むミステリー小説で、さらに九尾の狐でなく猫。この段階で私のワクワク感は刺激される。

さらに目を引いたのは同じ棚の隣に並ぶ、クイーンさんの他作品のタイトルである。

「災厄の町」「十日間の不思議」「靴に棲む老婆」・・・

マジで全部、興味を引くタイトルである。

しかし当時(半年前くらい)の私は、そこで本を購入しなかった。

なぜなら、大学生の時に読んだ、あまりにパズル的過ぎてげんなりした作品の作者が、推していたのがエラリイ・クイーン氏であり、その時以来、読んでいないにも関わらず、クイーン氏に苦手意識があったからである。

そんなわけで私の中で、クイーン氏の本については一時保留とし、半年間が過ぎた。

さてそしてつい先日である。

大阪旅行の為に書店をぶらついていた私は、再びクイーンさんの「九尾の猫」に目を引かれる。なんとなく裏のあらすじを読むと、どうやらニューヨーク市を舞台にした連続絞殺魔の話らしい。面白そうである。

その場であとがきを読んでみようと思うものの、可能性は低いが犯人がネタバレする可能性もある。ゆえに私はスマホで「九尾の猫」の評判を調べた。

どうやらエラリイ・クイーン氏は前期と後期で作風が変わり、特に架空の町であるライツヴィルを舞台とするシリーズが「災厄の町」から始まり、それらは人間心理に重きを置いた文学的な作風とのこと。

私はすぐにスマホを閉じ「九尾の猫」をレジに持って行った。

心理的・文学的という言葉が簡単に私の背中を押した。もはやこんなの面白いに決まっているからだ。(厳密に言うと九尾の猫の舞台はニューヨークでありライツヴィルではない)

そして私は大阪の初日に、喫茶店で巨大パフェをまるで解剖するかのように、華麗に食べながら「九尾の猫」を読了した。

そう案の定、めちゃくちゃ面白かったのである。

どれくらい面白かったかというと、スマホで難波近辺のジュンク堂を調べ、すぐにライツヴィルシリーズのスタートである「災厄の町」を速攻で買いにいく位、面白かったのだ。(パフェ早食いダッシュの為、お腹が激烈に痛くなった模様)

そんなわけで大阪旅行中、エラリイ・クイーン氏にどはまりした私は、旅の最中に4冊ほど読了した。

↓以下、旅で読了した4冊

どれもとても面白かったのだが、特に良かったのが「十日間の不思議」と「九尾の猫」である。

あまり語るとネタバレになるので詳しくは避けるが、上記のどの作品も、登場人物の複雑な心理が丁寧に描かれ、そこにいる人間は人形でないどころか、まるで肌触りや匂いまで感じるような温度があるのだ。

そしてどの結末も、一面的な正義というような安易な解決はなく、何かしらの痛みを伴う優しさや、後に引くようなやりきれなさが残る、実に後に引く味わいがある。

その意味で言うと、どの作品も事件の部品として人間があるのでなく、人間の心理の延長線上に事件があるので、キャラクターの輪郭がくっきりとし、それがまた魅力になっていると思う。

言うなれば上記4作は、人間とは複雑で、矛盾やどうしようもない業を抱えた存在であるということに真摯に向き合っているのだ。

正直、20世紀の初めにここまでレベルの高いミステリー文学作品が書かれているとは思っておらず、衝撃を受けた。むしろ現代のほとんどのミステリーより面白いのではとすら思ってしまう。

そんなわけで私は大阪から帰ってきた今も、クイーン氏のライツヴィルシリーズの「ダブル・ダブル」を読んでいる。

いずれ何かしら書評なり考察をあげたいと思うので、その時はよろしくお願いします←お前はとにかくserial experiments lainの考察を進めろ

何だかよくわからないモノを目指し、ブログやってます
本の書評や考察・日々感じたこと・ショートストーリーを書いてるので、良かったら見て下さい♪

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