「響きと怒り」は20世紀アメリカ文学の巨匠であるウィリアム・フォークナーさんの長編小説であり、アメリカの小説の中でも最高傑作に位置づけられている作品です。
実は私は数年前、本作に挑戦したものの撃沈した過去があります。
自分自身は理解出来るかどうは別として、大抵の作品は「文字」なのだから根性があれば読める! という不真面目哲学の元、「難解とか言われてっけど余裕っしょ」という実に舐めたテンションで臨んだのですが、見事に大惨敗笑
本作の第一部は、ベンジャミンという知的障害を持つ一族の末っ子の青年が語り手で、そもそもその語りも曖昧模糊としている上に、そこに「意識の流れ」という手法が加わり、彼の精神の中で場面が入れ替わりまくるわけです。
そんなわけで、数年前の私は「こんなもんわかるかーい!」と華麗に挫折。まるで最初から借りてなどいなかったかのように、そっと図書館に返却しました笑
しかしです。今の私はピンチョンに魅せられ、かつそれを楽しみながら読破。難解作品・文学作品に飢えている時期。
今なら、「響きと怒り」ワンチャン行けるのでは?
そんな予感がびびびっと走り、今回はしっかり上下巻共に一気に購入。覚悟を決め、本作に向き合いました。
そして読了。
私は絶句しました。
まじで・・・
まじで凄い作品だった!!
言うなれば本作はとある一族の没落を、それぞれの兄弟の視点で追っていき、そこにアメリカ南部の歴史も絡む、一時代の文化や人間の栄枯盛衰、移り変わりを描くタイプの作品。
しかし本作は私が読んだそのジャンルのどれよりも、心に刻まれるものがありました。
言うなれば、何か大事なものをぽっかり奪い取られたけども、しかしその空間には確かな何かが刻み込まれ、振動を続けている、そんな感覚。
そんなわけで以下から、作品の魅力に触れていくわけですが、本作はもしかしたら考察をアップする可能性もあるので、とりあえずこの書評では、私が感じた事をざっくばらんに書いていく事にします。
そしてもしこれから本作を読む人は、本当に岩波版の注釈が、まるでゲームの完全攻略本かというレベルで分かりやすく神だったので、そちらをおすすめします。
それでは以下、あらすじです。
▼あらすじ
アメリカ南部の架空の土地であるヨクナパトーファ郡を舞台に、その地の特権階級だったコンプソン家の没落を描く作品。
本作は4つの部に分かれており、第一部はコンプソン家の末っ子で知的障害を持つベンジャミンの視点、第二部は長兄であり、ハーバード大に通うクエンティンの視点。
そして第三部は、三番目の子で世俗的なジェイソンの視点を描き、第四部では三人称視点で、黒人の召使長であるディルシーに焦点を当て、コンプソン家の崩壊への流れとその行方を描きます。
上記のあらすじ通り、本作は四部に分かれていて、第一と第二部が上巻で、第三、第四部が下巻という構成。
第三部のジェイソン視点の話は、彼の精神は歪んでいるけど(笑)、落ち着いているし、時間も意識も通常通り流れるので、読みやすいのは圧倒的に下巻です。
その意味でやはり、試練となるのは上巻。
人間はある行動をきっかけに、それと連動した過去の記憶を思い出し、意識が過去に向かう事があります。
例→木を登る、すると数年前、木に登って落ちてお気に入りの服を汚した事を思い出す
第一部では、この意識の流れにより、語り手であるベンジャミンの意識が、あらゆる時をいったりきたりするので、普通に読めば「???」となるのが当然です。
しかし不思議なもので、私は下巻を読んでいる時に、分かりやすいなあと思いつつ、圧倒的に上巻の事が心に残り、そちらの重量に惹かれている自分を発見しました。
それがなぜなのかは、本作を全て読了してようやく理解出来ました。
言うなれば、ベンジャミンのパートは、コンプソン家の滅びの前の、穏やかな走馬灯の具体化・物語化なのです。それを最初にぶつける事で朧気なイメージが私たちの脳内にじんわりと植え付けられ、その共振が物語を進めていく中でも、常に鳴り続けている。これはすごい試みです。
そして第二部のクエンティンのパートも素晴らしい。
こちらはコンプソン家の精神の崩壊を端的に象徴している黙示録のような話。私は彼とは兄である事以外何も共通点はないのですが、まるで我が事のように彼の錯乱に、言葉に、胸を貫かれました。
その意味で言うと、実の所、下巻は崩壊が約束されたドミノが、倒れていく事を眺める物語で、言うなれば事後みたいなものなのだと感じました。神の本来の居場所や世俗的で退廃的なものの強さなど、こちらも素晴らしいのですが、上巻はそれ以上にパワーがある。
さて本作を語る上で外せないのが、コンプソン家の二番目の子で唯一の女性であるキャディ。
ベンジャミンに対し愛情をもって接し、かつ好奇心旺盛。その上で自分でも制御しきれない性欲を抱える淫らな顔と慈愛の顔、二つを持つ女神。
本作の裏の主役は彼女と言っていいでしょう。彼女もまたとても魅力的です。
またある意味で、分かりやすく悪役にされている三番目の子、ジェイソンですが、彼にも事情があります。一族の捻じれの中で、遊ぶ時間を返上し働く事になり、現在は彼が一家を養わなくてはならない。その意味で私は彼の事は心底から嫌いにはなれませんでした。
その意味で一番悪いのは、彼らの母親です。
正直な話、本作の母親は私が読んだ文学作品の中で、ワーストワンかもしれません。虐待したりとか直接、罵詈雑言を言うとかではないのですが、「母親がダメだとここまで家族が総崩れになるのか」という事を、彼女から嫌というほど思い知らされました。貴重な体験です笑
彼女の事を自分なりに表現するなら、「階級意識に苛まれる神経的悲観主義が、母親の役割と愛情を凌駕してしまっている」。これに尽きます。主観ですがコンプソン家の崩壊は半分以上彼女のせいだと思います笑
私が本作を読んで強烈に感じたのは、作者が持つアメリカ南部の文化への憧憬と、そしてその文化への哀しみ・時代遅れ感・否定の感情です。
フォークナーさんの他作品は「八月の光」を十年前くらいに読んだだけなので、確信はないのですが、彼はアメリカ南部の文化に対し、肯定と否定、愛情と憎しみが入り混じったアンビバレンツな思いを抱えているのではないか、そんなことを思います。
巻末の、コンプソン家や先祖や登場人物の紹介、その後を描いた章において、白人であるコンプソン家が悲惨な人生を送っているのに対し、黒人の召使たちが精神的平穏を得て幸せを手にしている事や、教会のシーンに黒人しかいない事も、その証左の様な気がします。
本作は、ベンジャミンの走馬灯とクエンティンの静かで激烈な叫びが、第三部と第四部の間、物語空間に共振し続ける事で、その穏やかさや哀しみと、猛々しい残響を読者に刻み込む事に成功している、とんでもない作品です。
フォークナーさんの作品は今後どんどん読み進めていきたいです。次は「アブサロム、アブサロム!」を読みます。わくわくするぜ♪

